「大人は転ぶとすごく痛い」2023/12/12の日記
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知ってましたか?
大人ってみんな落ち着いてるぶって歩いてるからなかなか転ばない。落ち着きないのってダサいから。子供じゃあるまいし。対してわたしは忙しなく歩くので転んだのだ。加えて靴紐をきちんと結ばずにスニーカーを履き潰しているし、そもそも前方をよく見ていない。ヤンチャしてる中学生か?わたしは転ぶべくして転んでいる。
先日、成人してから初めてくらいのレベルで盛大に転んだ。道路の真ん中。何もない平坦な道。せめて段差があれよと思った。
その瞬間の詳細な記憶はなく、気づいたら真っ黒でザラザラのアスファルトが目前にあり、大きく体勢を崩していた。は?理解できないことがすごく怖い。
それにすごく痛い。膝なんて激痛で機能しない。わたしに許された操作コマンドは「うずくまる」のみ。跪きアラサー女。そうこうしている間に犬の散歩をしているおばあさんに声をかけられる。心配の眼差し。わたしは犬と同じ目線。犬に成り下がって恥ずかしいよ。
起きあがろうにも膝の皿が砕けたような痛みで未だ脚が動かない。続・心配の眼差し。デバフ攻撃?なんだか申し訳ない気持ちになり無理やり上体を起こした。いてーーーー!!!と心の中で叫びながら。手を広げて「大丈夫ですよ!動けます!えへへ」と元気を装って見せる。
怪訝な顔をされながらも立ち去ってくれた。心配されたくないがための元気アピール、きっとやめた方がいい。風邪で辛いときも大抵わたしは医者に対し、平気そうに飄々とした態度をとる。我ながら全く意味もないし確実にプラスに働かない行動だという認識はある。やめたらいいのに。
あれから一週間近く経過したが、とくに骨は折れていないようだった。手の擦りむきも膝と肘のアザも全身の痛みも快方に向かっている。そもそも直後に歩けてるし心配なかったんだ、皿が砕けたとか大袈裟だったな。
身体が重くなった大人にとっては、子供の頃の転倒とは桁違いに大ごとになる。これは学び。
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この悲しみを誰かに伝えたくて、仕事中話しかけてきた職場の推し(以下、職推しという。)に話したところキャッキャ喜んでくれた。人の不幸で喜ぶ性格の悪さ、たいへん推せる。ありがとうな。
赤のような青のような色になった膝のアザを見てもらいたかったけど、職推しは見てくれなかった。「今日のアザの色気になりません?」「ちょっとでいいので見ませんか?」と次の日以降も声を掛けたが頑なだった。冷静にわたしは新手のハラスメントをしている?
転倒もハラスメントも気をつけた方がいいな。
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花屋の帰り道、歩きながらウキウキで写真を撮った。
そういうところだぞ?!
ブルースターと黄色いバラを買った。花言葉が何かうまいことを言ってるのではと期待したけど「幸福」とか「愛」とか見当違いなものだった。「不注意」とか「痛み」とかだったら面白かったのに。日記のために花に期待をしてしまった、なんかごめん。
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夕方、唇がピリピリしてきたのでよく見たら口唇ヘルペスが始まっていたので近所の皮膚科に駆け込んだ。久しぶりに会った免疫が落ちてるときに出てくる奴、最悪だぜ!
閉店ギリギリに薬局に行ったのにめちゃくちゃ丁寧な薬剤師さんでなんだか心が洗われました。「ご説明すごく分かりやすかったです」って伝えたかったけど、恥ずかしくなって「ご丁寧にありがとうございます」くらいにした。感謝の気持ちが伝わってたらいいな。
1日記に2恥ずかしだ。
なるべく恥ずかしくない人生にしたいとは思っている。
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