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赦す

昔から 優しい人間になりたかった。

でも 私はいつも「 優しい人間 」にはなれなくて 「 優しくなりたい人間 」でしかなかった。


人に優しくする瞬間には 心の片隅に偽善の気持ちが多少たりともあった。

結果的な優しさを追い求めて、分け与えられるようなキャパシティは持ち合わせていないのに 自分をすり減らしてでも何かを与えようとした。

優しさを自分の存在価値にすると いつでもそこには苦しさがついてきた。
無理に取り繕ったり 許容できない範囲のことを無理して許容したり 、、

そういう人間である私は、自分自身より何倍もキャパシティの広い 本当の意味での「 優しい人間 」に出会ったときに、とてつもない劣等感と敗北感を覚えた。

それからは、時に自分のした行動を利用されたり 自分自身を軽んじられたりしても 、
それは私自身が 「 優しさ 」を勘違いして与えていた報いのようなものだと感じていた。
自分で自分をゆるせなかった。

そんな わだかまりを抱えて最近まで生きてきた。


ところで、日本語における ゆるす には、ふたつ意味があるらしい。

これからの失敗を認めること が 「 許す 」
そして、これまでの失敗を責めないことが 「 赦す 」


私は全ての大切な人に対して 期待をしているしある程度の執着をしている。

本当の優しさが何なのかまだわかっていないけれど、「 優しい人間 」になりたいと 今でも思っている。

優しさは、大切な人を大切にするための手段だから。

だけど、自分をすり減らす優しさは もうおしまい。
優しくなれない自分の正直さも、受け止める。


これまでの自分を赦して これからの自分を許して
本当の優しさを探しながら、
あったかく生きていきたい。

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