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料理

(写真は今日作ったほうれん草のポタージュ)

料理ができる・できないについてずっと考えている。
“料理ができる”ってなんだろう?

「できる」の境界は
・レシピを見てもできない
・レシピを見ればできる
あたりだろうか。

多くの人は「レシピを見ればできる」なんじゃないかなと思う。義務教育で調理実習をやっているし。

そういえばこの前「レシピ見ても料理できないとか意味わかんない(要約)」と言っている人がいたのだけど、そんなに意味わかんないことだろうか?
小学校で習った分数の計算ができない人がいるように、レシピを見てもできない人がいてもおかしくはない。あなただってできないことはあるでしょ、と思ったりなどした。

しかしこの「レシピを見ればできる」というのは解釈が難しい。

レシピを見てぴったり同じに作れる
なのか?
レシピを見てなんとなく似たようなものが作れる
なのか?
レシピを見て作ったけどなんか違う
なのか?

私は多分今まで料理をしてきた中で、ぴったり同じに作れたことはない。それは当たり前で、ぴったり同じ材料をぴったり同じ量だけ揃えられることなど無いからだ。
特に野菜なんかは◯◯gと書かれていたって、ぴったりその分量用意することなんて稀だろう。
肉100gとあって128gパックのものしかなくて、28gだけ分けて使う人もそうそう居ないだろう。

それは本当に“レシピを見てレシピ通りに作っている”ことになるのだろうか?
材料がちょっと多いから調味料もちょっと多めにしよう、とか、少し長めに茹でよう、とか、よくやると思う。

レシピ通りに作るなんてとても難しいことだ。
それなのに我々は、レシピを見ながら料理をし、さらに材料のバラツキに対して多少のアレンジを加えながら料理を完成させているのだ。
知らず知らずのうちにアレンジレシピになっているはずだ!

すごいよ。みんなアレンジした料理ができるんだから。えらい。

つまりなにが言いたいかっていうと、食べられるものをつくれる人はえらい、ってこと。
できない人も、できないことがたまたま料理だっただけなので気にしなくていいよ、ってこと。

以上。

2022.11.26
うにむら


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