法務キャリアの話

「弁護士になって何したいんすか」
同僚のアルゴリズムエンジニアに聞かれて、一瞬考えた。確かに自分は予備試験の勉強をして短答に受かったり落ちたりしている。だが、五大や一部のブル弁を除いて、弁護士業界がレッドオーシャンになりつつあることは散々知ったうえでのことである。よく観察しているからこそ、過度に強いあこがれをもっているわけではない。そのため、自分が弁護士としてバリバリ働いているイメージは、実は持てていない。
なので、「特にしたいことないんですよね」と答えた。

いま、MNTSQ株式会社という謎のリーガルテックベンチャーにいるのは完全に偶然の産物である。10年超、Twitter廃人をやっていたらたまたま相互フォローの取締役に拾ってもらい、そこで必要とされている能力と自分のスキルセットがたまたまハマっただけである。まともなキャリアパスではない。再現しようと思っても不可能であるが、気づいたら日本のリーガルテックの潮流のほぼ最前線にいる。

本稿は、自分のキャリア(と呼べるのかわからない、漂流記と言った方がいいかもしれない)を振り返り、その先を描くことを目的とする。いま就活中の大学生や、転職を考えている人、キャリアに悩んでいる人には「こんなに人生無計画でも生きていけるんだ」と笑っていただければ幸いである。

もっとも、私が指摘するまでもなく、社会の不安定性はますます増している。来年には憲法が書き換わっていてもおかしくない程度には先が読めない。だから、このご時世に自分のキャリアについて考えることは無意味かもしれない。だが、過去を振り返り、仮説を置いておくことには常に意味があると思う。

大学・大学院時代

そもそも私は政治経済学部の政治学科であって、大学三年まで法律の勉強をしようとは一ミリも思っていなかった。転機はゼミの選択で、公共政策のゼミだと思ったら行政法のゼミだったのがきっかけである。そこから法律を勉強し始めて、大学院まで行って勉強しようと決めた。指導教授のあまりの頭の良さや理論の美しさにびっくりしたからである。ちょうど岩波書店の『科学』の連載で、11/24まで日本学術会議任命拒否事件に関する論文を公開しておられるので、みなさまもぜひ読んでください。

当時はとにかく社会に出るのが嫌で、会社は理不尽で怖いところだと思っていた記憶しかない。勉強は楽しかったが、同時に能力の限界も感じていた。大学院生あるあるだと思うが、眼高手低、すなわち、他人の論文の良し悪しがわかるようになっても、自分で良いレベルの論文が書けないのである。
また、兄弟子がある研究会でこぼしていた「いまの大学は研究者を育てるような環境じゃない」という言葉も気になっていた。確かにその通りで、研究環境の悪化は当時から進んでいたし、特に法学は大学院がロースクールに様変わりした結果、ほとんど研究者を育てられなくなっていた。研究に対するあこがれは持ちつつも、この業界に骨をうずめる覚悟は持てなかった。

公務員志望時代

とにかく就職しなきゃ生きていけないので、片っ端から公務員を受けまくった。国家総合職、国会職員、東京都、埼玉県、国立大学職員。ちなみに、これは修士2年の話ではなく、修了後1年目のことであるところに計画性のなさがうかがえる。まだ会社は怖いところだと思っていたし、わけのわからん院卒を採ってくれる会社もなかった。それに、公務員試験は得意の憲法・行政法で無双できたので、試験で困ることはほとんどなかった。しかし、結局必死さが足りなかったのか、やりたいことがなかったからなのか、面接は全滅だった。
世間知らずなので、東京都1Bの最終面接では自分が心療内科にかかっていることなど全部喋っていた。アホかな?当然落ちた。だんだん何もかも嫌になり、埼玉県などは最終面接をブッチした。ここで耐えていれば、今も埼玉県庁で働いている世界線もあったかもしれない。

法律事務所時代

最後の最後、大学の求人広告で法律事務所の求人を見つけた。事務員。なにをするのかよくわからないし、民事・刑事法には自信がなかったけれども、とにかく就職しないと始まらないと思ったので受けたらスッと受かった。
最初は会議室の掃除とか、裁判所や郵便局へのお使いとか、電話番とかの雑用から始まり、(大学院で勉強した意味とは…?)という感じではあったが、だんだん認められるようになってきて、高度な仕事も任せてもらえるようになった。大規模横領案件、法務DD、照会案件、億単位の不動産相続、事業承継、契約書ファーストレビュー、通知書の下書き。パラリーガルっぽくなってきた。会計事務所も兼ねていたので、簿記二級を取って一人会社の決算までやるようになった。
やりがいはあったが、できることと年収との乖離が激しくなってきた。生活が苦しいので、土日は大学院時代からの塾講師のアルバイトを続けていた。途中から、法人立てたてのMNTSQ株式会社のお手伝いを業務委託でやり始めた。このころは、普通に他の法律事務所への転職活動をしていた。また、自分でも弁護士やれるな…と思ったので、予備試験の勉強を始めた。

そしてMNTSQへ

週7で働いているからか、2019年2月ごろ、色々あって心身の体調を壊し、前職を退職した。そしていろいろあって(ありていに言えばすでに決まっていた別の法律事務所の内定を直前でブッチした。ほんとうにごめんなさい)、5月の契約社員期間を経て、6月からMNTSQの第一号社員となった。当時は4畳くらいの死ぬほど狭い箱部屋だったが、今は30人くらい入る大きなオフィスであるから感慨深い。

MNTSQでの仕事は、いままでの人生経験が奇跡的に全部つながっている。法律事務所での企業法務の経験はもちろん大きい。契約条項を読むのは、要するに行政法の仕組み解釈というやつである。基本7法の中でも、行政法はとりわけ初出の条文に触れる機会が多い(約1900本ある日本の法律の大半は行政法である!)。そして、リーガルプロダクトの開発はほとんど研究である。すなわち、問題意識を練り、仮説を立て、検証して、手を動かす。研究大学院での経験が活きていると思う。文系だったが、数学もそんなに苦手ではなかったので、エンジニアとの協働もスムーズにやれている。

また、MNTSQは異常な経歴が評価される異常な空間である。念のため付言すれば、異常というのはいい意味の言葉である。総務省だって「異能ベーションプログラム」と言って公募を募っている。そういう「尖った人」という意味で使っている。ベンチャーではそういう人が好まれる。公務員を受験していたときは考えられなかった世界である。全社スクラム採用をやっているので社員全員が採用に関与しているが、異常経歴人材や異常スキルセット人材の履歴書が来るとみんな喜ぶ。傍から見ると異常な光景だが、自分も異常者なので心地がいい。私より優秀な人材がたくさん来て、私が追いつけなくなってクビにならない限り、当分働きたいと思う。事業で考えなければならないことは研究職やローファームとは異質な部分が大きく、戸惑うこともあるが、今では事業会社も楽しいと思っている。

改めて、将来やりたいこと

なぜ予備試験を受けているのかといえば、弁護士になるならないに関わらず、この業界では、残念ながら、資格のない人間の発言力は小さいとも感じるからである。リーガルテックで食っていくにしても、一定の地歩を築くために資格は必要条件であるように自分には思われる。また、ほかにわかりやすいスキルがないというのもある。もともと勉強は好きだし、負担ではない。民事・刑事法などはほとんど独学だし、いつ受かるかはわからないが、早めにサクッと受かりたいなとは思っている。ただ、仮に受かっても修習に行くかどうかはわからない。今の仕事も大事だし、寄与できる価値が大きい。

将来的には行政法に回帰したい気持ちもある。日本社会や統治機構に対する大学院時代の問題意識は少しも消えていない。また、自分が取り組むかどうかはわからないが、政府がAWSの導入を決定した話はアツいと思っている。自治体向けのgov-tech SaaSなどが盛り上がりそうである。コネがないとつらそうだけど…。もし弁護士になったら、公法系の訴訟代理人は一回はやってみたい気持ちもある。

やりたいことは多いが、別に焦ってはいない。今やれることを少しずつ進めていければいいと思っている。

最後に

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
本稿はMNTSQ株式会社の勤務時間中に書かれました。
MNTSQは異常な人もそうでない人も募集しています。様々な職種の優秀な人々と、最先端の業界で切磋琢磨できる環境がここにはあります。一緒に切磋琢磨しましょう。


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