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パーソナルスペースの確保

ほんの三日前まで、私に与えられた個人のスペースというのは、年の離れた兄弟と並んでおかれた勉強机と二段ベットの下だけだった。私は今年で19歳になる。いつまでこの柵のついた二段ベットで寝るんだろう。いつまで私は背中合わせで兄弟たちと勉強するんだろうと思っていた。

どうしても1人になりたかった時には、寝室に篭った。大きな声を出して泣きたい時は枕に顔を押しついけて泣いた。しかし、そんな取り乱しているお姉ちゃんの姿を見せれないから、泣けるのは、兄弟たちが寝室にくる前か、彼らが寝静まった後だけだった。


最近はコロナの影響で、自由に外へ遊びに行くことができなくなった。バイトしたお金はたくさんあるから、洋服を買ったり、友達と食事に行ったりしたいのに、都市の方に行くなときつく言われるようになり、そんなことを言われている間にこのご時世だから、次々と買い物していたお店などが臨時休業するようになった。

その間バイトをたくさんしようと思った。私の今のバイトはスーパーのレジである。スーパーは臨時休業なんてしないため、シフトにもたくさん入っていたのだが、四月に入って両親から止められるようになった。基礎疾患を持つ祖母の家が近く、もし私がコロナウイルスを持ち帰ったら大変だからである。おばあちゃんはもちろん大好きだ。そんなおばあちゃんが私のせいで死ぬなんて耐えられないので、バイト先に しばらく働けない旨を伝え、休んでいる。

必然的にいつも家族と顔をあわせることになる。家族全員が健康なら本当にそれに越したことはないのだが、精神的にはかなり参ってしまった。小さなことでイライラしてしまい、ストレスが溜まるのだ。家族に申し訳ない気持ちと、でも苦しいという気持ちが入り混じる。そして、コロナでたくさんの人が亡くなっている様子をインターネットやテレビなどで知り、どうしようもない気持ちとただただ悲しく、そしていつこの状態が収まるのか先の見えない不安とで、ものすごい怖くなった。

そして、私はなんと四月一日に予約を入れていた精神科をすっかり忘れていた。そのため、次の診察までの15日間は薬がない。起伏が激しくなり、夜はなかなか眠れず、変な夢ばかり見るようになった。すこぶる調子が悪い。頓服や、前に飲み忘れ、余っていた薬などをだましだまし飲みながら繋いでいる。三月の診察の時はとても気分が良くて、薬の量を減らして下さい なんて調子のいいこと言ったが、お医者さんにそんな焦らなくていいからと遠回しに止められた。確かに薬の量を減らすのはもう少し先でいいやと思ってしまった。一気に薬なしの生活を強いられ(自分が悪いのだが)ひいひい言いながら生活している。

こんな時、1人になれる空間があったら。といつも思っていた。本格的にお金を貯めて一人暮らしをしようと思ったが、アルバイト代の貯金のみでのやりくり、仕送りなしで大学に通える近辺に住むにはかなり厳しい計算結果となった。そして、お金がなんとかいっても、父親が許してくれるわけないので、ほぼ不可能である。

三日前、両親に愚痴をこぼしてみた。一人暮らしがしたい。年の離れている兄弟とおんなじ部屋で寝て、勉強するのには、生活するのには少し限界がある。と。

まあもちろんものすごい言われた。お前は病気だから1人にはしておけない、世話の焼ける娘だ、病気治ってからもの言え、迷惑だ、まだ文句言うのか、わがままだ、情けない、、とにかくいっぱい。もちろん泣いた。いつまで立っても豆腐メンタルである。

でも、1人部屋なら作ってやるか、みたいな話の流れになった。まさか自分の家に私だけの部屋ができるのか。と思った。私の家は決して狭くはないが、部屋という部屋は二つしかない。一つのお部屋は父、母の寝室。もう一つの部屋は子供達の寝室。だが、リビングが二つあるのだ。一階のリビングは食卓があり、二階のリビングには勉強机とテレビ、ピアノがある。つまり、二階のリビングは子供用リビングなのだ。そのリビングに二段ベットをおいてしまおう。という話にまとまった。

二日前に部屋の移動が終わり、実はこのnoteも自室で書いている。もう、兄弟にチラチラみられてるかもと不安に思いながら書かなくていいのである!すごく嬉しい。

ほんと、夢みたいだ。


昨晩、大学の人たちがLINEでグループ通話をしていた。深夜一時。今までは深夜の通話なんかもってのほか、兄弟が起きてしまうから断っていたが、もう1人部屋なんだし、参加できるじゃん、と思い勇気を持って入りたいと言い、グループ通話に参加した。

が、

1人部屋になったからと言って急に陽キャになれるわけがないのだ。キョドッて一言も喋れなかった。。。見事に一言も話せなかった。我ながら、もう自分救いようがないなと思った。

カウンセラーの先生が「心理学に進む人はつぐむさんに似ている感じの人が多いと思う、友達たくさんできるよ。」と言ってくれていたのだが、例外もいるようだった。当たり前だけど。

コロナの影響でしばらく大学に行けないから、こういうLINEでの座談会にたくさん参加した方がいいと思ってやってみたが、身の丈にあったことを無理なくしていこうと思った。そうだ、自分は根っからの隠キャだった。

ミュートにして、グループ通話をラジオ感覚で聞く。楽しそうな会話を一歩、いや何歩も遠く後ろからのぞいている気分だった。もう私大学生なんだなぁ。と思った。四月なのに寒かった、一人部屋デビューの夜の話である。


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