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ホームスクール:アメリカのホームスクール運動の歴史

Gaither, M. (2017). Homeschool: An American History. Palgrave Macmillan.

※これはメモです。翻訳したものではありません。引用箇所は筆者訳:〈〉
2024年7月24日

 本書は、メサイア大学でアメリカ史を専門とするMilton, Gaither(ミルトン・ゲイザー)よって執筆された、数少ないアメリカのホームスクールに関する包括的な歴史書である。2017年に出版された本書は、2008年の初版を基に改訂された第二版となる。
 政治的思惑と容易に切り離すことができないアメリカのホームスクール(Homeschooking)に関する研究であるが、積極的な推進派として知られるBrian, Ray(ブライアン・レイ)とは異なり、Gaitherは中立的な立場をとっている。Gaitherが運営する研究レビューなどを行っているHP (International Center for Home Education Research Reviews, Homeschooling Research Notes: discussing research about homeschooling history, policy, and practice)では、より直接的に、RayやHome School Legal Defense Association (HSLDA)に対する、学術的批評が述べられている。それは、単なるRay自身やホームスクール制度に対する批判というよりも、ホームスクールに対する正しい研究的蓄積を望んでいるように見受けられる。そうした立場は、GaitherがRobert, Kunzman(ロバート・クンズマン)と研究を報告することからも、Kunzmanと近しい立場が想起される。Kunzmanは、宮口(2017)において取り上げられている論者であるが、その主張はホームスクールに対する規制を批判するでもなく、規制を強化するでもなく、中立的かつ現実的な論理を展開している。Gaitherは本書の目的について、以下のように述べている。
「イギリス植民地とアメリカ合衆国における家庭教育の歴史を、時代錯誤的に家庭教育を称賛し、家庭と学校、家族と政府を対立させるようなことはせずに語りたいのです。(p.xi)」
「第二次世界大戦以降に出現した自覚的なホームスクーリング運動について、内部者による説明に典型的であった「偉人」の歴史を超えて、この運動が育まれた文化的風土と、それに参加した何千人ものアメリカ人の草の根運動の両方に注目しながら説明しなければなりません。(p.xi)」
宮口(2023)でも指摘されているように、RayやHSLDAといった政治的活動にホームスクールの研究が用いられる傾向は、ホームスクール研究として、正しい知見を得るための大きなハードルとなっているのも事実であろう。
 本書の内容に戻れば、歴史書であるという性格から、本書は年代を中心とした全8章で構成されている。それぞれ、一章1600-1776、二章1776-1860、三章1865-1930、四章1945-1990、五章3人の先駆者、六章1983-1998、七章合法化、八章1988-2016である(年代のみ抽出、正式名ではない)。イギリス植民地時代に始まり、独立戦争、南北戦争を経てアメリカが民主化していく過程からホームスクールに迫っている。本書のタイトルにもなっているHomeschoolingという用語については、明確な境界のない多義的な言葉であるとした上で、“home school”、”homeschool”、“home education”、“domestic instruction”を使い分けている。
「本書では、家庭で子供を教育する取り組みを、制度的な学校教育を意図的に拒否し、それに代わるものとして説明する場合にのみ、ホームと学校という単語を複合語として表現する。(p.xiv)」
すなわち、後述するが、歴史的に行われてきたような家庭で行われ子どもに提供されてる教育活動としてのホームスクールと、義務教育制度を拒否するかたちで行われる脱学校的なホームスクールを区別している。両者は、家庭で子どもに教育を提供するという点において相違ないが、その思想、経緯に大きな差があることになる。

第七章 Make It Ligal〈合法化〉

(いきなり第七章から始まるのはご勘弁願いたい)
 本章は、明確に年代で区切られていないものの、焦点となるのは1970年代から1990年代に加熱したホームスクール運動である。ホームスクール運動とは、本章のタイトルにもなっているように、端的には、ホームスクールを合法化するための運動として捉えて差し支えないだろう。ホームスクール運動において、大きな役割(法的な手続きにおいて)を果たしたのが、先に名前の挙がった、1983年に設立されたHSLDAである。合法化の物語は、子どもに自由な教育をさせたいと願う、進歩主義教育的で児童中心主義のロマン主義派と、キリスト教の宗教保守派による物語でもある。HSLDAは後者であり、ゆえに、ホームスクールを行う家庭にキリスト教を信仰する親たちが多いのでもあろう。ホームスクールの合法化には、宗教保守派が主導的な役割を果たすこともあれば、そうでないこともあり、全体的な傾向としては、1980年代前半まではロマン主義が主導し、それ以降は宗教保守派が主導するという構図であった。
 ホームスクールが合法化に至る過程は、アメリカらしく、そのほとんどが訴訟によるものでもある。アメリカは合衆国として独立して以降、合衆国憲法を持ちつつも、各州が独自の憲法と州法を定めている。そのため、教育に限らず、様々な制度や法律は州によって全く異なるものとなっているのである。ホームスクールが合法化される以前、すなわち、州法によって公立学校への就学義務が定めれていた時代でも、ホームスクールは全面的では無いにしろ行われていた。多くの場合、州の学区(School District)の学区長の許可を得る必要はあったにせよ、ホームスクールを望む家庭は、子どもの教育計画を立て、学校と協力的な関係においてホームスクールを実施していたのである。
 すなわち、まずもって理解しなければいけないのは、ホームスクール運動が始まる以前、ホームスクールは確かに州法には明記されておらず、その合法性は曖昧な状態であったかもしれないが、実践として全く認めらえていなかったわけではない。この点に関しては、アメリカでは歴史的に学校の成立が比較的遅く、子どもの教育は家庭で行うことが普通であった。また、広大な土地というアメリカの性質上、義務教育法が制定されてしばらくの間は、実行力を伴わない法律として、各地で家庭教育(ホームスクール)が行われていたようだ。そのうえで、ホームスクール運動によって目指されたのは、州法にホームスクールを教育の一つの形態として明記させることであった。
 宗教保守派のとった戦略は、親が子どもの教育を決めることが、合衆国憲法修正第一条に定められた権利であるとし、同修正第十四条によって適切な州法の成立を求めるものであった。このために、彼らは州法の違憲性を訴える訴訟を全国で起こし、争ったのである。こうした戦法は、結果として合法化に向けた着実な進歩を勝ち取ることができたといえる一方で、大きな爪痕も残した。それは、公立学校関係者らとの対立であり、あるいは、時にはロマン主義派のホームスクーラからも、その過激な争い方から規制が厳格になることを懸念した対立が生まれることもあった。すなわち、極めてラフな言い方をすれば、HSLDAらによって主導されたホームスクール運動は、全国で大きなムーブメントを起こしつつも、強引さと乱暴さも持ち合わせていたといえよう。
 「ホームスクール合法化する」ということの含意であるが、前述したように州法に明記される以前もホームスクールは細々とではあるが実践されていた。HSLDAが目指した合法化は、州法に義務教育の在り方としてホームスクールを明文化させることであった。この副作用として、州法に明記されることは、すなわち、一定の規制を課されることでもあり、柔軟さは減少したといっていいだろう。ロマン主義派からすれば、こうした規制(例えばホームスクール実施時の登録、年次の報告、テストの受験義務など)により、それまで認められていた柔軟な対応や協力関係が崩れるために、歓迎し難いものでもあり、対立につながったと解釈できる。もっとも、そうした対立さえも、HSLDAが持つ全国規模の団体としての力によって覆い隠されてしまっているようにも思われる。また、合法化に伴うホームスクールの規制、および合法化後の規制強化に対しては、HSLDAは登録義務も何もないまったくもって自由なホームスクール制度の実現に向けて、再び争うことになる。そして、それは認められることもあれば、そうでないこともある。
 こうした合法化のプロセスは、州政府が積極的にホームスクールを歓迎し、合法化に至ったというよりも、面倒ごとを避けて法律を改訂していったようにも解釈できる。その意味で、ホームスクールの合法化が積極的な意味を持たず、時として、消極的なものとして検討されるべきである。1993年にアイオワ州が最後に合法化を果たし、ホームスクールはアメリカの全州で合法となった。1990年代後半以降、ホームスクールは合法化し、多様化し、法的根拠を獲得していった。州政府の規制強化の動きに対しては、ホームスクール団体が反発し、ことごとく却下させていった。HSLDAは規制緩和に向けたロビー活動を各州で展開してく。近年、ホームスクールの規制を強化させようとする法案は、HSLDAの主動により、ほぼ常に廃止に追い込まれている。ホームスクール運動を成功させた要因は多々あるが、(1)運動家の情熱、(2)行政側が交後退やすかったこと、(3)メディアによる「肯定的」な発信、をGaitherは挙げている。
 しかし、ホームスクールへの懸念は、家庭における児童虐待である。2008年にホームスクールを行っていた家庭の子どもが亡くなる凄惨な事件をきっかけに、ホームスクールへの批判が強まっている。カリフォルニア州ではホームスクールを事実上禁止する法案の検討を行ったが、成立することはなかった。

文献一覧
Gaither, M. (2017). Homeschool: An American History. Palgrave Macmillan.
宮口誠矢(2017)「米国ホームスクール政策に関する理論的課題」『日本教育行政学会年報』第24巻、pp.124-137
宮口誠矢(2023)「日本におけるホームスクール制度研究の動向と課題」『教育制度学研究』30巻、pp.196-203


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