ネギの皮むきがなくなる日を夢見て
ここ最近、週末は農家さんのお手伝い(援農)をしている。土に触れたり、新鮮な野菜を収穫したりするのは楽しい。お天気だとなおさらで、畑からスタートする休日はなんとも充実感に溢れている。一方で、わたしは農業を本業として取り組めないと素直に思う。その理由と農業の今後についてド素人ながら考えてみた。
単純作業が多すぎる
私が農業を本業にできない、と感じる理由は至ってシンプルで、単純作業が多すぎるから。飽き性の私は同じような仕事を1日8時間もやってたら発狂すると思う。例えば以下のようなネギの収穫。この前は大人4人がおよそ2時間かけて行い、40kgのネギを収穫から袋詰めまでをした。
で、自然と効率化のために分業がデフォルトとなり、私はネギの皮むき担当に。ひたすら、ただひたすら、ネギの皮を2時間むき続けた。これだけむいたネギでいくら稼げるのだろう?
私が手伝っている農園では、ネギを一袋150円で販売している。だから40kgだと利益はだいたい9万円。そこから人件費、輸送費、その他もろもろコストが引かれていく。1人当たりの手取りは会社員レベルでないのは確かだ。
ネギの皮むきは、たぶん誰でもできる。だからこの「誰でもできる単純作業」をいかに効率化できるかに、農業のゆくえがかかっている。そう素人ながら思うのです。
素人が考えたネギの皮むきをなくす方法
農業のド素人ながら、超勝手に農業における単純作業を減らす方法を考えてみた。ひとつは機械化。ネギの皮むき、全部機械がやればいいんだ!‥‥でもオール機械化は野菜が傷んじゃうからむずかしい。あと、機械のコストがかかる問題もある。
で、もうひとつは私たち消費者が農業のイチ作業を担うこと。そろそろ私たちは「スーパーに並ぶキレイな野菜」を諦めるべきだと思う。日本のスーパーに並ぶ野菜はすべてサイズが揃っていて、ピカピカで、すぐ使える。
この状態にすることが農家さんにとってどれだけ負担なことか、私は援農を通じて初めて知った。そして消費者が皮むきや泥落としという作業を行えば、農家さんの作業がぐっと減ることもわかった。(実際、「泥付きの野菜を出荷したいけど売れないから洗うしかない」という農家さんの声をよく聞いた)
海外では出荷された野菜がそのままスーパーに置かれ、消費者が自ら計量する光景がよく見られる。消費者が農業のイチ作業を担うことは不可能ではないのだ。
価格転嫁は正解?
こういうことを考えていくと、価格転嫁という方法も生まれてくる。でも、私はキレイな野菜の値段を上げることが、根本的な問題の解決にはならないと思う。
価格転嫁、つまりキレイな野菜に付加価値をつけることは一見良いかもしれない。しかしこれだと、永遠に単純作業はなくならない。お金の払える消費者が「めんどくさい作業」を他人に押し付ける構造は変わらないのだ。
一人が少量やれば大きな負担でない皮むきや泥落としの作業も、一人で8時間やるとなれば話は別。単純作業は、それを行う人のやりがいや創造性を奪っていくと思う。人口が足りないという状況で、これはもったいない。
どうすれば世の中から単純作業をなくせるんだろう。単純作業を社会全体で負担できる仕組みってなんだろうか。このままだと単純作業だらけの産業構造に未来はないのでは、とすら思ってしまうから、もっと考えていきたいな。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?