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地味顔コンプと自己愛が自己肯定感へ【書く習慣 Day10】

この記事は いしかわゆきさんの『書く習慣』 #1ヶ月書くチャレンジ のテーマを元に書いています。

Day10 自分の好きなところ

自分の顔に愛着を持てるようになったところ。

私は目が細くて地味顔だ。
ファッションに興味を持ち、雑誌を読み始めた小学校高学年あたりの頃から、一重まぶたがコンプレックスだった。

今の子がどうかはわからないけど、アラサーの私が子どもの頃、一重か二重かというのは女の子が最初に突きつけられる「可愛い」の判断基準だったように思う。

私も最初は二重に憧れた。でも「可愛くなりたい」という気持ちがバレるのが恥ずかしくて、アイプチを使う勇気はなかった。それに、試しにヘアピンで跡をつけて二重にしてみたら、なんだか目をかっ開いたような変な顔。だから自然な二重になるように、まぶたのマッサージをしたり、まぶたの脂肪が落ちるようウインクを1日30回ずつやってみたりしたけど変わらなかった。

アイプチを使わなかったもうひとつの訳は、自分の顔のまま自分を好きになりたいという自己愛だ。アイプチを使ったら、アイプチを取った顔を見たときに落ち込み、自分の顔をずっと嫌いになってしまうと思った。

初めて一重まぶたへの見方が変わったのは、女優のりょうさんを見たときだった。正確には、りょうさんは奥二重だけれど。「サプリ」というドラマに出ていたりょうさんを見て、パッチリ二重じゃなくてこんな魅力的なことってあるのだと衝撃を受けた。二重への憧れはりょうさんのようなお顔への憧れに変わった。

とはいえ、やはり自分とはパーツのバランスも骨格も違う。一重や奥二重でも綺麗な人がいることはわかったけど、自分はやっぱり地味で芋っぽい。

高校を卒業すると、髪を染めることも当たり前に考えた。卒業して何日も経たないうちに早速髪を染めた子の写真を見て、一気に雰囲気が変わるものだなあと驚いた。でも結局できなかった。髪色を変えたことで雰囲気が変わるのが怖かった。髪色を変えて少しの華やかさを手にいれたとしても、やっぱり髪色のおかげでしかないと虚しくなり、自己嫌悪が募ることになるだろうと思った。

初めて髪を染めたのが26歳のときだ。黒髪が好きなわけでも、ヘアカラーに興味がなかったわけでもないのに「地味顔のまま地味顔コンプレックスを克服したい」という気持ちだけで長い間髪を染めることができなかった。

何かはっきりとした出来事があったわけではない。色々試して自分の好きなメイクを見つけたり、そうやって試行錯誤している自分を好きになったりして、いつの間にか自分の顔に愛着がわいていた。「髪を染めることももう怖くないな」と、あるときふと思うことができた。この過程を経た自分のことが私は好きだ。今もずっとりょうさんのような女性に憧れている。

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