他者への「興味」と「関心」
高校時代の友人が、最近上京してきた。(しかも二人も。)
彼女たちとは高校1年生の時に同じクラスで
2,3年生の時は隣のクラスだったため、高校時代には比較的多くのコミュニケーションをとっていた仲だと思う。
ひとりは隣の県の短大に通い、もう一人は関西の四年制大学にいった。
というのも、私は最近知った情報である。
同じ高校の子が一人もいない、東京の大学に進学した後、
1年で辞めて2年間浪人していた私は、
地元の子たちの情報を一切知らなかったのだ。
こんな言い方もあれだが、「興味」もなかった。
しかしひょんなことから、今年の五月くらいからひとり(以下M)と連絡を取るようになり、大学時代も頻繁に連絡を取り合っていたという、もう一人(以下T)ともオンラインで話す機会があり、そしてMは10月に、Tは十日前ほどに上京してきたのだ。仕事の都合で。
MとTは、非常に仲が良い。
先日も、MとTに久々に会い、いろんな話をした。
というよりも、いろんな話を”された”。
という言い方が正しいだろう。
いわゆる「自分語り」と「他人の噂話」だ。
自分は大学時代こんな恋愛をしてきた、ああとてもくずだった、でもまた今度会うんだよねーー
あの人とあの人、結婚したらしいよ
あの子、今不倫してんだって~(笑)
私は今こういうこと頑張ってて~。社会人はそんな感じだよねー、
とりあえず就活サイト毎日見たほうがいいよ、この世界は人間性だから~
………
うんざりだ。啓蒙か。
他者への「興味」と、自分語りはどれだけだって出てくるのに
目の前の人間(私)への「関心」は全くないのだ。
村上春樹は「1973年のピンボール」の中で
人の話を聞く選手権があるなら、僕はその年、絶対に1位になっていただろう。というようなことを言っていたが、私も同じことを思った。
世界人の話を聞く選手権2020があれば、私は間違いなく1位になっていただろう。
興味と関心は、違うように思う。似ているが、興味は「好奇心」に近い。
好奇心は、人間の「知りたい」と思う気持ちを助長するものだが、
それは、知ってしまうとその先がない。深く知ろうと、理解しようとしない。
他者への興味はもちろん必要であるが、それはここにいない誰かではなく、目の前にいる人間に向けられ、それは「関心」へと移行せねばならないものではないのだろうか。
私は、他者に興味はない。
誰と誰が結婚したとか
誰が不倫してるとか
あいつ今こんな感じらしいよとか
どうだっていい。
でも、目の前の人間への関心はある。
大学時代はどう過ごしていたの?
関西で美味しい串カツ屋さんはある?
今の仕事はどう?
前の会社はどんなところがきつかったの?
東京に来てどんな街に行った?
これからはどこに行きたい?
最近見た映画は何?
家の周りには何があるの?住みやすい?
そんな質問、たくさん出てくる。
私の目の前にいる彼女たちは、気持ちよさそうに、何だってしゃべる。なんだって語る。自分のことを。
私があなたにいろんなことを聞いて、
私はこの数時間で、いろんなことを知れたよ。
でもあなたは?私について何かをしっているのかな。
あなたは、目の前にいる人と、会話をしているだろうか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?