もっといいことを覚えていたいのに

お風呂に入るときにいつも思い出す呪いのような記憶があるため、いまここで供養したいと思います。

子どもの頃、父方の祖父母が近所に住んでいたので週末はよく遊びに行った。遊びに行き、新聞の日曜版を読むのが好きだった。
せいぜい小学中学年の時分にいつものように日曜版を開き、下4分の1あたりにある漫画を読んだ。
いま突然思い出したのだけれど、みつはしちかこさんかもしれない。違うかも。家族の漫画。
ここでお風呂のエピソードが出てくる。
あまり好きな言葉ではないが仕方なく使うと、登場人物の「お嫁さん」らしき人が「ぬるいお湯で朝風呂にゆったりというのもいいわ」とか何とか言う。するといわゆる「お姑さん」が「あらダメよ、朝風呂は熱いお湯にさっと入って体を起こすほうがいいのよ」とか何とか言う。「あらそうなんですね、勉強になるわあ」うんぬん。そうなのかと思った。なるほど確かにそうかもなあ、と。
するとその会話をうけた「お婿さん」が言うのである。

「おいおい、嫁と姑がそんなに仲が良くっちゃあ僕の立場もかたなしだな」

なんだか引っかかるなと思った。仲が良くないほうがいいのか? それ以上に何を思えばいいのかそのときはあまり明確にはならなかった。そして何を思ったか心の奥底に丁寧にしまい込んでしまった。

はっきり言っていまもよくわからないし特にわかりたくもないのだが、が、
ひとつ言えることは、

きっしょ!!!

なんどかさまざまなきっかけがあってわたしの人格は形成されたわけだけれど、この瞬間、ほとんどはじめて「一生涯結婚するのをやめよう」と思った。←9歳くらい

そして、いまでも風呂に入るたび、湯加減を調節するたび、1000%この一連の流れを思い出すんである。特に朝、温泉とかでもさ、さいあく以外の何ものでもないね。
お風呂じゃなく風呂って書いちゃうよマジで。
あれだろ? 交感神経的な話だろ?

祖父の家の2階の、ベランダ越しに指す光、その日のあたりかた、じゅうたん、干からびた小さなサボテン、わずかに舞っているほこり。わたしが結婚の気違いアンチになるきっかけの、萌芽の、なんかしらん一番最初の日。

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明け方2時過ぎに起きて眠れなくなってしまったので歩いてきた。5キロくらい。そしていまはエプソム塩溶液に浸かっている。
朝だから湯は熱めがいいんじゃねーの。それについては自分の意思で決めたいが不可能だ。あのお姑が必ず登場する。毎回。必ず。いやそれよりも男のほうだよ。何が「僕の立場もかたなし」だにやけてんじゃねえあんただよあんた、あんたは照れ隠しのつもりかなんか知らないけどこっちは大迷惑なんだよ脳のリソースを返せ!というのを毎回やっている。毎回。やれやれだよね。

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