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うまれたての自分に帰る夏 「海のふた」



「大丈夫、海はやさしいよ」


都会からやってきた

はじめちゃんが生まれて初めて海で泳ぐシーン。

まりがかける言葉。


そっと身体をあずける。

少しずつ。


ゆっくり。


海と一体化する。


いつもかわらず、ただ波を打つ。

人の感情に寄り添うこともなく、ただ一定のリズムで波打つだけ。


海がやさしいと感じられるのは、

きっと生きる痛みから目を背けない者。


全編を通し、BGMのように鳴り続ける波の音。

それは心地よく、時に残酷にも感じられる。






かき氷、

そしてタイトルから想像されそうな、

ほのぼの系あるいは、淡いひと夏の魔法。


そういう路線を期待して見ると、はっきり言って裏切られる。




お金、欲望、別れ、過疎化や経済衰退など地方の問題。

夏の伊豆の美しい風景に埋め込まれ描かれるのは、

わりと重いテーマたちだ。





東京の大学を卒業し舞台美術の仕事をしていた

まりは、都会での生活に疲れ、すっかり寂れてしまった故郷の町に戻る。

自分にとって唯一誇れることは、かき氷が好きすぎることだけだと気づき、海辺で小さなかき氷屋をはじめることに。

その開店準備に明け暮れる中、母の親友の娘であるはじめちゃんを夏のあいだ預かることになり、最初は面倒に思う。

はじめちゃんは大好きだった祖母を亡くし、おまけにその財産相続をめぐる親族間のドロ沼劇に巻きこまれボロボロに傷ついた経緯を経て、

やってくる。

おまけに顔には幼い頃の火事で負ったひどいアザがある。


この2人と

まりの幼なじみで元彼のオサムという男を加えた3人だけが主要な登場人物で、特に大きな出来事もないまま淡々と物語は進んでいく。




業務用の大きな削り機から生みだされる、短冊のように美しいかき氷。

あふれんばかりに丸々と盛られたその氷には

手作りの糖蜜、みかん水のどちらかが、たっぷりとかけられる。


「自分がいいと思うものしか出したくない」

その信念を曲げずに、店に立つまり。


イチゴ味がなくて子どもに泣かれ、

値段が高いと言われ、

来る日も試行錯誤しつつ、自分の店への誇りを失わない。


そんなまりを手伝いながらも自分の運命と冷静に向き合い、

やがて道を切り開いていくはじめちゃん。


おそらくこの二人は、

「自分を生きる」ことに対しての貪欲さと、

芯の強さという点で共通している。


程よい距離感と会話のテンポ。


そんな彼女たちの日々を見ながら、

すっと肩の荷が下りるような気分になる。


そう。

ふだん無意識のうちに、

一体どれだけ自分を縛りつけて生きているのだろう。


人生の選択肢なんて無限だ。

だからこそ、

基準はごくシンプルでいい。

当たり前のことに、ふと気づかせられる。





一度東京に出て戻ってきたまりと、

町を出ずに黙々と家業を続けてきたオサムが

価値観の違いから衝突する場面がある。

観光業で栄えていたころの昔の町を懐かしみ、

「なんでこうなってしまったんだろう」

と今を憂う、まり。

過去を美化しすぎだと怒るオサム。

町の衰退は急に起こったわけではなく、

昔から少しずつ進んでいたはずだと。


都会に生まれ育ったわたしには、どちらが本当かはわからない。

ただ、同じような状況にある場所は、きっとたくさんあるのだろう。


わたしの亡き祖父の田舎が似たような海辺の町で、現在も観光業でもっている地域である。

子どもの頃から毎年訪れているが、肌感覚として観光客は昔に比べて減っている気はするし、やはり高齢化などの問題も根深い。



「きっと愛のないお金の使い方をしたせいだ」


変わってしまった故郷を歩きながら、まりがつぶやく。

外からやって来たお金がお金を稼ぎ、町の内側ではお金が回らなくなってしまったことへのやるせなさ。

大切な何かを故郷の町に取りもどしたくて、彼女は氷を削り続けるのだ。





もちろんきれいごとだけでは、どうにもならないこともある。







「わたしはあの店でやってくの! この街でやってくの!」







物語の佳境、まりが己の覚悟を絶叫するシーンに胸を打たれる。




変わっていくこと。

抗えないこと。


あきらめでも

流される、でもない。


ただ現実を受け入れながら、ちゃんと自分を生きること。


単純で、むずかしいこと。


正しいか正しくないか、

そんな概念すら意味をもたない。

人は、ただ自分の道をひとり行くだけだ。








夏に生まれたからなのか、

どうにも夏大好き人間なので、

ジャンルを問わず夏にまつわるあらゆる作品に惹かれてしまう。

元々はこの映画の原作である小説のファンだったので、映画化された時にまっ先に観にいったものの、原作にはない要素が脚色された映画版に、

当時は

「うーん、」という感想だった。


が、

しかし久しぶりに見返してみると

風景の美しさとテーマの重さのコントラストが、

84分という短い時間に凝縮され迫ってくる。

そしてタイトル元である、原マスミさんの同名曲が途中でちゃんと聞けるのも映画ならではである。





浜へ続く道

潮のまじった風の匂い

蝉の声


帰り道

日没時の静かな高揚感。


ありきたりで、

知っているような

知らないようなノスタルジーに胸が苦しくなる。



いちばん素直な自分に出会える季節がやってくる。


今年はどの海に会いにいこう。


それはわたしたちを、

うまれたての無に帰してくれる

あまりに大きな存在。


そして最後には

海のふたをきちんと閉めるように。

「ありがとう」を言える、

そんなたった一度きりの夏を生きよう。