センチメンタルループ
なんとなく、これっきりかも。
前触れもなく直観的に感じる瞬間がある。
人の繋がりを留めることは、難しい。
そこには果てしないエネルギーを使う。
凧糸が切れたように全てが終わり、なくなっている。
それも知らないうちに。
喧嘩別れをしたわけではない。
利害関係があり、それが崩れたというものでもない。
ふつうの、何気ないともだち。
最後の瞬間まで、気のおけない存在だったはずの人。
好きか嫌いか、どうでもいいか。
その中でいえば、確実に好きであったからこそ共にすごした時間があった。
相手を好きなら、連絡をとろうすればいい。
あるいは相手から何らかのアクションがあってもいい。
自然消滅し、はじめからお互いに存在しなかったかのように時が流れていくのなら、その程度の関係だったのだ。
それが普通の感覚かもしれない。
でも少し、ちがうのだ。
今日、自分が死んだとする。
さて誰がどのくらい悲しんでくれるでしょうか、
という話ではない。
それ以前に、私が死んだ事実を知ることができる人は何人いるのか。
きっと、ほぼゼロである。
ある日ふと思い出し、すでに連絡はつかず、何年もたってようやく
「あいつ、もしかして死んだのかも」
と、心の片隅で悟るかもしれないし、それすらないのかもしれない。
そんな希薄な関係、それともだちじゃないじゃん。
と言われれば、たしかにそれまでである。
でもそれが、私にとってのともだち。
つよがりでも、諦念でもなく、相手の中での私という存在の重軽は本質ではない。
ほんの一時でも笑いあう瞬間をつくってくれたという事実がある。
あなたという人生のほんのモブキャラとして、そこに登場させてもらえたということ。
いつか何らかの心が通じたという体験は、まぎれもなく私の中にタペストリーのように編み込まれている。
最も居心地のよい距離感で、自分を消耗する必要のない関係。
それは求めるでも、つなぎ留めようとするでもない。
その時たまたま気がつけば、それでラッキー。
そうやって循環してゆく。
あなたが私の人生に果たしてくれた役目は終わり
私に与えられた、あなたの人生への出演時間もいつのまにか終わっていた。
それだけのこと。
繋がっていないようでどこか繋がっているような、
でももう二度と会うことのないあなたへ。
今日もどこかで元気でいてください。