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自分の口にするものが豊かになった

「# ゆたかさって何だろう」
noteのお題が目に止まり、ふと考えてみた。

この2、3ヶ月の間に、暮らし方、働き方、人との関わり方、いろんなことが変化した。基本的に外に依存した生活をしていたので最初のうちは戸惑ったし、どうやって生きていこうと思った。それこそもう「豊かさ?そんなの全部なくなっちゃうよ。」って感じだった。

家に机も椅子もなかったし、料理もできなければ冷蔵庫もなかった。
毎日出かけて人と会話することで、気持ちのバランスを取っていた。
自分のライフラインが次々と奪われていく感じがして不安になった。


外出を避けること。

たったこれだけのことで、今までおざなりにしていた色々なことを急にやらなければいけなくなった。

でも、たったこれだけのことで、今まで知り得なかった色々なことに出会い、感動したことも確かだった。


新しい豊かさに気づくと、この状況も割と悪くないなって思うようになる。まるで豊かさの上書きをされたみたいだ。今までの生活も豊かだと思っていたけれど、新しい豊かさを知ると、これはこれで生きていける気がする。

そんな、これから大切にしていきたい豊かさについて考えていたら、ハッと、自分の口にするものが変わったことで得たものだという共通点に気づいたのでまとめてみました。


口にする「味」が変わって得た豊かさ

壊滅的に料理に興味がないので、毎日コンビニのごはんを買う生活を送っていたけれど、外出制限でコンビニに行くのもはばかれ、家に自炊の環境を整え始めた。電子レンジはいまもないけど、冷蔵庫は生活に革命をもたらし、その日に食べるものだけ買うということをしなくてもよくなった。

そのおかげでだんだん自分でもごはんを作って食べることも覚え始める。コンビニじゃなくてもごはんは食べれる!という概念が生まれた。笑 当たり前じゃん!と思うことなかれ。そういう人間もいるのです。そうすると、

毎日いろんな味のいろんな商品を食べていた口が、同じような味付けの同じようなメニューを口にするようになった。

これは一見、豊かさから遠ざかったように思うかもしれない。でも感覚としては逆で、便利からは遠ざかったけど、豊かさはむしろ今の方が実感しているくらいだ。なんとなくその時々で好きなものを適当に棚から取って食べるのではなく、体のことを考えて、今日はこれ食べよう、明日はこれ食べよう、という新しい楽しみができるようになった。

本当に雑な料理だし焦げる率も高いし、全部同じ味がするし大体同じようなメニューだけど、ようやく生きるための地の力を手に入れた感じがする。ベースがマイナスなので、これから先のポテンシャルが計り知れない。わくわくしてしまう。

口にする「言葉」が変わって得た豊かさ

リモートで人と会わずに仕事をすることが基本となって、周りに声をかける人がいなくなり、いつもしていた雑談やちょっとした小話ができなくなってしまった。これは気持ち的にだいぶやられた。顔の筋肉が衰えていく。。

まいったなと思っていた時に、いつも仲良くしているメンバーとバーチャルオフィスを立ち上げようという話になった。平日同じ時間にzoomをつなぎあって仕事をするというもので、毎朝「おはよう」と集まって、夕方「また明日」で終わる、そんな取り組みだった。(残念ながら自粛解除を受け、5月末をもって解散となった。)

これは冷蔵庫を上回るほど革命的だった。

元々知り合い同士で始めた取り組みだったものの、2ヶ月という間にSNSを介して仲間が増え続け、人に会えないという制限があるにも関わらず、はじめましての人にたくさん出会えた。本当に職業も年齢も、働き方も、住んでいるところもバラバラ。そんな仲間と過ごす環境で、

今まででは出会えなかった価値観や考え方に触れて、自分が使ってこなかった言葉だったり、知り得なかった内容を口にするようになった

今までは会社というコミュニティとその周りの環境での関わりが多かったのが、場所という制限がなくなった途端、こんなにいろんな人に出会えるなんて!目から鱗だった。画面に映る仲間の奥に、知らない世界が面白いほど広がっていた。おかげで本当に言葉も考え方も豊かになった。

今では、いつかその仲間たちと会うことがとても楽しみだし、時間とネットさえあればむしろ今まで出会えなかった人にも出会えるということが、これからの自分の希望でもあるし、豊かさの可能性を感じているところだ。

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ゆたかさって何だろう

わたしと新しい豊かさとの出会い。今回はたまたま口にするものだったけど、きっとまだまだ知らない豊かさがたくさんあるのだろうな。それこそ、強制的に、または意識的に、自分の状況が変わることで出会っていくものだと思う。

なんとなく思うことは、豊かさは、そのとき自分の生活に潤いをもたらしてくれるもの、なんじゃないかなということ。

今回でいうと、ごはんに困る、人に会えない、というカサカサになりつつあったところに、ぷるっと潤いを与えてくれたのがそうだった。

一日のうちに太陽が動いて陽が当たる箇所が変わるように、わたしたちの生活だって、その時々で焦点が当たる箇所も変わるし、乾いてしまう箇所も変わる。

どうしようもうだめだと俯いてしおれてしまう前に、水をあげてシャキッと立てるようにしてくれるのが豊かさ。顔をあげたら、なんだ、楽しいことここにもたくさんあるじゃん!って気づかせてくれるもの。

植物が育つ地面も、場所によって含まれる養分や土の硬さが違うように、わたしたちの生活も、その時々で与えられる条件や環境のハードさが違ってくる。

だから必要な栄養、いわゆる、豊かさが変わっていくのは当たり前だと思うのだ。その時、その場所で、シャキッと元気に生きていくために補わなきゃいけないものなのだから。

最初の方に「豊かさの上書き」と言ったけど、感覚的には本当にそう。上手にぷるぷるっと生きていくためには、その時々で必要な豊かさを上書きしながら生きていくのがきっといい。

日照りが続いてしまうこともあるかもしれない。カラッカラになってしまうこともあるかもしれない。でも辛抱すれば雨はいつか降るし、もしかしたら心優しい人が水をかけてくれることもある。そういう時に、あっこれがここでは必要な豊かさなんだなって、よいしょと素直に受け止めて、生きていけたらいいなと思います。