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第三の場所、第三の自分。

わたしは昔から落ち着かない子で、いつも自転車に乗っていろんなところに顔を出しては誰かと過ごして日が暮れる、鉄砲玉のように遊ぶ子だった。

幼少期は団地の子の家を遊び歩いたり、小学校の時は学校が終わったらいつも友人や先生の家を転々として、中学高校は朝から夜までほとんど毎日部活や習い事だった。大学は二部学生だったので、夜の授業以外は朝から晩までバイトをして授業が終われば友人の寮でご飯を作ったり写真部の暗室にこもったりしていた。

社会人になってもそれは特段変わらなくて、コロナ以前は特に生活の大半を会社で過ごしていたし、夜はだいたい友人や同期と飲みに行ったり休みがあればライブに行ったり。家にはほとんどいなかったし、極めつけに東京に住み始めてからもう、長くても1年半くらいで家も転々と引っ越すほどである。

一定のところにいられない症候群かもしれない。一定の場所に居続けると、一定の自分にしか出会えてない感じがして飽きてしまうというか、もっと面白いことがあるんじゃないかと思うと、1人で家にいるよりも誰かとどこかにいたい、ここではない別の場所で新しい自分と出会いたいと思ってしまう。ここがわたしの居場所ですと抱きしめたいところは、今あまり思い浮かばない。


ただそんなわたしでもずっと忘れられない場所がある。

小学校の公務補室だ。

わたしの通っていた小学校は、田舎の小さな木造校舎だった。全校生徒が9人で、先生は4人。わたしに同級生はいなかった。入学式は教頭先生と手を繋いでたった1人の新入生として迎えられたし、授業は先生とのマンツーマン。いつも体育や音楽は生徒全員で、総合の時間は校長先生と近くの川にきのこを採りに行って理科室で焼いて食べた。2年生の時に算数がわからなすぎて泣き散らかしては教頭先生を困らせたのもいい思い出だ。

(残念ながらわたしが5年生の時に創立100周年をもって閉校してしまった。)

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休み時間にはよく公務補室に遊びに行った。

公務補室には田川さんというおじさんがいて、わたしが行くと「よう!」と言ってくしゃくしゃに笑った。髪はくるくるだったので、くるくるでくしゃくしゃだった。
おじさんはいつも、草刈りや花壇の手入れ、校舎の修理(古かったので)、校庭の土慣らしや遊具の整備など、生徒が安全に過ごせるようにいろんなことをしてくれていた。一方で公務補室にいるときは、余った木材を使っておもちゃを作っていた。

わたしはおじさんがいる公務補室がだいすきだった。

内緒な、と言っておじさんが吸うタバコの煙が漂う室内で、コーヒーの匂いと木材の匂いが混じわる。小さな小さな部屋だったけど、ラジオの音が心地よい、よく陽が入るあたたかい部屋だった。わたしは休み時間の10分かそこらの時間で、おじさんの隣に座って木にやすりをかけたり、糸のこで板を切ったりして遊んでいた。上手にできたらおじさんも一緒に喜んでくれて、作ったおもちゃは教室の隅っこに飾っていた。

穏やかだった。まどろむほどに。

小さい学校ながらに先生の異動はあるものだけど、それでもおじさんは入学からずっと一緒だった。だから落ち着いた。作りかけのおもちゃ。家から持ってきた食べかけのお菓子。お絵かき帳とほとんど半分に折れてたクレヨン。あの部屋には、わたしの跡がたくさんあった。

わたしはおじさんを同級生のように慕っていた。

おじさんとどんな話をしていたかもう覚えてないけど、あの部屋にいた時間はすごく安心していたことだけは覚えている。

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家とか学校とかではない第三の場所。(いや厳密に言えば学校なんだけどあの部屋は違う。)そこに存在する第三の自分と、その自分も認めてもらえるという居心地を知った最初の場所だったんじゃないかなと今になって思う。

忙しない日々の中で、ぼんやりタバコを吸う時は時々その匂いと共に思い出す。

ああいう場所がほしいな。

ふらりと立ち寄って、数分でも数時間でも、その空間にいるだけで心が伸びやかになる場所。ソファと飲み物と、ちょっとした音楽。木のおもちゃ。そしてそこにはきっとおじさんみたいな人がいるんだ。よう!って迎えられて、話したい時は心ゆくまで話せて、放っておかれたいときは放っておいてもらえる。生きている間の、なにか途中のものを残しておいてもよい。

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いま、自分にはたくさんの側面がある。第三の自分が複数いる。すべて自分であって、ちょっとずつ違う。コミュニティごとに違う自分でいられることは、自分を保つためにも大切なのだ。たとえばある側面で苦手なことも、別の側面だとできることもある。それは関わってくれる人や環境によって引き出されるものが異なるからで、そうしていくつもの自分を認識しながら、自分がどんな人間かを考える。

昔からいろんな場所に行っていろんな人と話すというのをしていたのは、たぶん、いろんな自分と出会うためだったのかもしれないし、ある側面の自分で落ち着いていられるようなどこか特別な居場所も欲しかったのかもしれない。

わたしはどこかでまだ、記憶の中のあの場所を探している。そわそわと過ごす日々に、あの場所が、大人になっても必要なんだろうなと感じながら。

田川さん、お元気ですか。


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友達のようでいて、他人のように遠い。
愛しい距離が ここにはいつもあるよ。
ハナレグミ/家族の風景