ぬいぐるみと、ASDの私

ぬいぐるみは、私を肯定してくれる。

ぬいぐるみは話さないって?
そんな話はしていない。
というか、話さないと肯定にならないなんて決めつけだ。

否定されることの多かった私にとって、否定しないでそこにいてくれることは、相対的に肯定だった。
そして、隣に寄り添ってくれることは、いつだって肯定だ。

ぬいぐるみに意思はない?
そういう話じゃない。
まず、お前に意思はあるのか?
ある?本当に?本物か??????

あのときの私は、みんなには、私を傷つけようとする意思があると思った。
あると思ったのだから、あった。
私は、みんながすることに傷ついた。
本当に、私の話は聞いてもらえなかった。

ぬいぐるみは、私の話を聞いてくれた。
相対的に、聞いてくれていた。
そして、そこにあたたかく存在して、確かに私を受け止めてくれていた。


でも、みんなが私を傷つけるのは、意思ではなかった。
私の世界から見た意思は、偽物だった。

全部全部私が間違っていて、みんなは私の間違いに、意思を見出していた。
私には、意思がなかった。

みんなも私も偽物だった。

でも、ぬいぐるみだけは、そこにいた。
唯一の、本物。

ああそうか、彼らは、一度たりとも私と同じ世界にはいないんだ。

私一人の美しい世界。
それを絶えず壊そうとして、そして遂には壊してしまったお前たちの世界。
私が無理やり引き込まれてしまったそこ。
その、どちらにも。

だから私に一番近かった。

彼らは、私の世界を、私を保存していて、そっと差し出し続けてくれている。

それなのに、なぜ古びてしまうのか。
私を抱えているのは、もうあなたしかいないというのに。

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