ASDはなぜ難しい言葉を使うか

ASDは難しい言葉を使いがちだといわれる。
私にも確かに、結構そういうところがある。
それがなぜなのか、ASDの私なりに説明してみる。
但し、難しい言葉を使う人=ASD なわけではないし、あくまで傾向なので、ASDでも定型でも、どれだけ難しい言葉を使うかは人による。

ASDは、こだわりが強く、間違いや誤解を容認し難いことが多い。
それで、正確に説明や表現をしようとすればするほど、難しい表現は増えていく。

どういうことか。

例えば、「誤謬」という言葉。
大雑把には、「間違い」という意味だ。
でも、同じ意味なら「間違い」で良いじゃん、という話ではない。
それだと、ただ結果的に間違っているということしか示せない。
「誤謬」は、一見正しく見えるが間違いで、しかしわざとではない、という意味を表せる。

「それは間違っている」と言うと、「わざと間違えたと思われてる?」「何もかもが間違ってる?」とも思わせてしまうが、
「それには誤謬がある」と言うと、「わざとではないけど違う部分があったんだな」「間違っても仕方ないくらい間違いやすいことなんだな」と思ってもらえる。

……相手が、「誤謬」という言葉を正しく理解していれば。

「必要以上に心配してしまった」と言うと、「相手が心配をかけてきた」とも聞こえるが、
「杞憂だった」と言うと、「自分が心配をしすぎた」という意味に伝わるとか。

「違う」「勘違い」と言うと、「どちらかや両方が悪い」みたいな感じにも聞こえるが、「齟齬がある」と言うと、「悪いとかじゃなくてなんか食い違っちゃってるよね」という意味に伝わるとか。

そういう感じで、正確に内容と意図を伝えようとすると、細かな意味やニュアンスを含んでいる、難しい言葉は便利だ。
だから、特に正確性を重視したいこだわりを持つASDは、難しい言葉との相性が良い。

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