辛いことの原因を全て•完璧に改める必要はない

人は辛いことがあると、その辛いことで頭がいっぱいになり、その原因を改善しようと必死になってしまいがちだ。
あと、辛い気分のときには、「これのせいで辛い」と原因を求めては解決しようとしがち。

でも、辛いことの原因と思われるもの全てを、完璧に改める必要はない。
辛いことを避けたりましにしたりするために、どの原因をどれだけ改善するかは、よく考えた方が良い。

その理由となる例

あなたは飼い犬に噛まれて手が痛いとする。
その原因は?
・犬を怒らせてしまったこと
・犬の躾ができていなかったこと
・犬を飼っていること
・犬に歯があること
・あなたに痛覚があること
……こうやって、いくらでも考えられる。

それで、犬に噛まれて痛いからといって、その原因を全部解決しようと、つまり、犬を飼うのをやめたり、犬の歯を抜いたり、自分の痛覚をなくそうとしたりはしませんよね。
100%噛まなくなることはないにしても、犬をできるだけ怒らせないようにしたり、躾をしたりしますよね。

そうやって、改善可能な原因だけを、可能な範囲で改善するのが正しい。

もう少しあり得る具体例

特に鬱とか落ち込んだときは、色々なことを辛いと思いやすい。
それで、目についた辛いことに対して「あれもこれも辛い。この辛さ全部なくさなければ鬱は治らない」とか思う。
そして、「これもこれも解決できないから治らない!」とまで。

具体的にいうと、
「働けないのが辛いから、働けない限りは鬱は治らない。でも鬱で働けないので、この鬱は一生治らない!」
みたいな思考回路。

働く前にまずは鬱を治さなければいけないし、働けない状態でも鬱は治せる。

原因改善の方向性

「鬱で働けなくて辛くて鬱が酷くなる」という場合。
「働きたい」という気持ちはそのままに、「働けなくて駄目だ、辛い」ではなく、「働くために鬱を治そう」と考え方をシフトする必要がある。
「今は鬱という病気のせいで働けないが、自分自身が働けない人間なわけではない」という前提に。

「自分は無能だから辛くて鬱だ」「無能さを解決しないと鬱が治らない」みたいなのも、もうちょっと細かく具体的に考えた方が良い。
何ができないのが辛いのか、それを改善する手段はありそうか、何ならできそうか、どんな環境なら辛くなさそうか。
そもそも、なぜ自分を「無能」と思ったのか。
誰かや何かに不当にそう思わされてしまっただけなのではないか。
問題はあなたの能力でなく、そう思ってしまった環境やそう思い込んでいることにあるのではないか。

辛さの原因と、その原因の原因と、もっと原因の原因と……を細かく冷静に分析した先に、改善できそうな部分が見えてくる。

改善が難しいが改善が必要な問題

「改善可能な原因だけを、可能な範囲で改善する」べきだ、とここまで書いてきた。
ただ、どんなに改善が難しい原因でも、それが辛さの大きな原因なのならば、そのままにはしておけない。

ただ、例えばあなたが親からの叱責によって辛い思いをしているとして。
そして、今すぐにはその環境から逃れられないし、親の行動を変えるのも難しいとして。

・叱責によって「自分は駄目だ」と思ってしまっているのを、「変な奴が感情的になっていて滑稽だな」と思うようにする
・SNSや日記に叱責について記録するようにし、客観的に見てその叱責の内容がおかしいと判断したりしてもらったりする
・その環境から離れる手段を考えたり、少しずつ準備をしたりする

みたいなことは、できるかもしれない。
少しは辛さの改善につながるかもしれない。
辛い中で何かをするのは大変だが、「私が辛いのは叱責のせいで、それはなくせないのだから、もう何もできない」とは諦めないでほしい。

まとめ

ここまで結局、具体例をもって「改善可能な原因だけを、可能な範囲で改善するべきだ」ということとその方法だけを書いてきた。
そしてそれをわかっていても、実際にやるのは難しい。
ただ、少なくともそう意識はして、ゆっくりでも進んでいこう。

辛くてもうどうしようもない、というあなたは、Twitterで私に相談してくれても良い。
根本的で劇的な問題の解決はできなくても、ほんの少しでも辛さが改善するかもしれない方法は一緒に考えられる。

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