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昨日
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夫が、夫の両親に私の病気のことを話したそうだ。
パニック障害という病気であること。
電車に乗るのが苦手であるということ。
人混みが苦手であるということ。
外食が苦手であるということ。
他にも色々と、今後のことも考えて
包み隠さず話してくれたらしい。
それを聞いた夫の両親はどんな風に受け取っただろう?
どんな言葉を放ったのだろう?
さまざまな思いがぐるぐるする私に
夫は「二人とも、ネガティブなことは何ひとつ言っていなかったよ。」と言ってくれた。
夫の両親は
「これからの長い付き合いの中で、また食事などに誘うことももちろんあるとは思うけれど、もう家族なんだから、何かあったら遠慮せず言ってほしい。誘いを断られたからって、付き合いの悪い人だなんて思ったりしないよ。無理しないでね。」
と言ってくれていたそうだ。
なんて温かい人達なのだろう。
夫の両親は、いつも無償の愛で私の心を優しく包み込んでくれる。夫と同じだ。
義父母の「もう家族なんだから」という言葉は
人によっては重く感じてしまうかもしれない。
けれど、私は私という他人を家族として温かく迎えていただけたことがとてもうれしい。
自分も何か別の形で愛をお返ししたいなと
義務感ではなく、心からそう思う。
そして、自分の病気を誰かに理解してもらえたとき、自分の中で大切にしている考え方がある。
受け入れてもらえることは、当たり前ではないということ。
自分の病気を告白するには、勇気がいる。
特にそれが精神疾患であった場合は、途轍もなく勇気がいる。(無理に告白する必要もないと思う。)
受け入れてもらえるか、不安でたまらないものである。
しかし、受け入れる側も、少なからず、勇気がいる。
自分とは違う他者を受け入れるということ。
相手が精神疾患を患っている、患っていないにかかわらず、等しく勇気が必要な行為である。
日々の生活で他者と関わるとき、当たり前のように行っているこの行為は、実はとても勇気が必要で、それができるということは素晴らしいことだと思う。
だから、受け入れてくれたことに対しての感謝の気持ちを決して忘れてはいけない。
「話を聞いてくれて、そして受け入れてくれて、ありがとう。」と、できれば言葉にして伝えることが大事だと、私は思う。
これから長く生きていく上で
絶対に忘れたくないと心に刻みながら
これからも生きていく。
ここまで読んでくださった方々へ
お目通しいただき、ありがとうございました。
「パニック障害の方に役に立つようなコラムを執筆していきたい」と初投稿の記事に書いたにもかかわらず、その次の日にはいきなり私の弱音コラムを投げてしまいました。
「もう読んでもらえないのではないか」と覚悟していたのですが
スキをしてくださった方々がいらっしゃり、とても励まされました。ありがとうございました。
今後も、日記のような感覚で
このようなコラムを投稿することもあると思います。
そのときは、優しく見守っていただけますと幸いです。
これからもどうぞ、よろしくお願いいたします。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
素敵な週末をお過ごしください。
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