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日記を1ヶ月弱書き続けて感じたことは。

随分とひさびさの投稿になってしまった。

去年の12/29から1ヶ月の間、毎日日記を書き続けるぞと決めてみた。

https://note.com/_ryu_boku_/n/nab67e7aa5f16

1/15までの18日間、毎日日記を記事にしてアップし続けられた。だいぶ無理やりの日もあったけど、締切に追われる作家さんの気持ちが0.0001%くらいわかった気がした。
1/16、その日のうちに日記を書けず翌日に持ち越して、そこから1週間は翌日に日記を書きあげた。
1/24の日記は3日遅れて書き終えた。もはやそんなの日記じゃないよな。。

1月の後半、仕事が忙しくなり、なんだか世の中の不穏なニュースに心がザワザワして、書くのに疲れたなと思ったら随分と再スタートが遅くなってしまった。
そんなこんなで日記を書くと決めた1ヶ月も終了。
アップした記事を読んでくれた方がいたことはとても嬉しかったし、励みになりました。感謝!

一定のペースで何かを書き続けることはすごいなと思ったのと、「『書くこと』を目的にしている人」と「『書くこと』を手段にしている人」の違いを感じた。
もっと、「呼吸するように書ける」ようになりたい。書こうとするのではなく、書かずにはいられなくなりたい。

そういえば、日記を書こうとする日々のなかで思いだしたことがあった。
数年前、頻繁にFacebookの投稿をしていた同僚がぱったりと投稿をやめたことがあった。
会ったときに、最近Facebook見ないですねと何の気無しにたずねてみると
「なんかFacebookに生活を支配されていくみたいで嫌になったんですよ」
と言っていた。
それはきっとよくある話で、はじめは生活のなかで印象に残ることをアップして楽しんでいたのが、いつしかFacebookにアップできるかどうかで行動を決めたり、写真映えするかどうかで行く先を決めたりしてきたのがバカらしくなったそうだ。
それはたしかにその通りで、日記に書けそうなネタを日々探しながら暮らすのはあんまり心地よいものではなかった。
でも、いわゆるプロの作家さんたちはその苦労をお金に換えているんだろうな。もしくは苦労とも思わない人だけが、その場所に立てるのかもしれないな。

何にせよ、毎日記事を投稿するというのはなかなかなハードルだということがよくわかったので、気分屋なままnoteを続けようと思います。

それにしても、毎日学級新聞を発行し続けたというエピソードをお持ちの燃え殻さんはまさに狂気の沙汰だな。尊敬します。真似はしません。

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