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2021年の振り返りと新年への期待と少しだけポリアモリーのことについて

2022年、あけましておめでとうございます!
本年もどうぞよろしくお願いいたします!🎍
書いてたら2日になってしまいました。笑
2021年、お世話になりました!

2021年は「ご縁」の年でした

2021年は一言で表すなら「ご縁」の一年だったかな、と思います。

仕事にしても趣味?の哲学対話のようなことにしても、本当に良い仲間に恵まれているなぁとつくづく思います。

「りょう君の知り合い、いい人多いよね」とたまに言われることがあるんですが、「そうでしょう?」って言いたくなりますね。笑

2022年もそんな人たちの、虎の威を借る私でありたいと思います!!(え?笑)

2022年はこうしたい!

昨年末から、改めて色々なことの「そもそも」に対して問いを立てて本読んだり映像みたりしながら一緒に考える例のアルタナコミュニティの続きを始めたので、2022年はそれを形にしたい、というのと、料理の撮影ももっと照明機材など増やしてちゃんと取り組みたいなという所存です。

あとは、最近「ポリアモリー」について色々調べたり話をしたりしていて、今年は何というか、ちゃんと好意と、その関係に何を望むのかを伝えるということをしていきたいなぁ、と。

ポリアモリーについては長くなるのでこの文の最後の方と、また別投稿にするとして、先に2021年の振り返りをしてみようかと。

2021年の振り返り

備忘を兼ねて2021年を振り返ってみようかなと思います。
(※個人名や具体的なサービス名が登場したりしますが、知り合いでない方はここは読み飛ばしていただいて…😂)

2020年の10月ごろに哲学史の勉強会をはじめて、そのあとシェフレピのβ版、正式リリース用の撮影をして、ちゃんと勉強しようかということで半ばノリで慶應の通信課程に出願したりしながら3月ごろまでは過ごしていたような気がします。

3月までの出来事で言うと、他に色々とヴァイオリン弾きの動画撮影(音響)他撮影は色々していたのと、後に5月ごろから教材作りに関わることになる一般社団法人Foraの藤村さんと最初に話したのもこのころ、そしてまなびぱれっとの法人設立の手続きやらHPやらやってたのもこの頃ですね。

4月7日にはシェフレピが正式リリースするとともに、慶應の学生にもなり、勉強と撮影と、という生活になりました。

そして5月になると先ほどのForaの高校生向けのキャリア教育教材づくりに関わることになったのと、澤君の紹介という名の勧誘により前年から関わっていためぐるさんのコミュニティ作りにも関わるように。

お盆の時期に入ると、2週間にわたる慶應の夏期講習がなかなか印象的でした。

慶應通信は基本的に自分で本読んで勝手に進めていくスタイルなので基本オンライン授業とかもないんですが、夏期講習ではフランス語と倫理学のZoomレクチャーがあって、やっぱりリアルタイムで質問出来たり課題に添削がついてたりで、かなりテーマについての理解の助けになり、それまで哲学史の勉強会でやっていたこととの接続が出来て個人的に満足でした。

(あとは結局リリースに至ってませんがだんと一緒にラジオ録ろうかって言ってたのもたしかこの頃‥!)

9月ごろになると一般社団法人まなびぱれっとの「教育×コーチング」のスクール運営が始まったり、めぐるさんの紹介で、役者でコミュニケーションのワークショップをしているもえこさんとのプロジェクトが開始したり。後はまなみさんと一緒に哲学対話し始めたのもこのころ。

10月は京都行ったり大阪行ったり鳥取行ったりと出張・旅の多い月で、動画編集がなかなかに大変だった記憶が。あとは3年近く前にアルタナユニバーシティやってた時の大河のEDUPLAに遊びに…じゃなくて作業したり打ち合わせしたりしに行くようになったのもこの頃でしたね。

後は高校に出向いてキャリアについて話す機会なんかもありましたね。

11月はというとそれまでやっていたことに加えて、Mode2Labというところでポリアモリーについて調べたりし始めました。

12月は特に新しい何かがあったわけではないですが、まぁこれだけいくつも手を出してると大変なことになるのであぁ師走、って感じであっという間に2021年が終わってしまいました。

思い返すと…

振り返ると、だらだらうじうじ考えてたかと思ったら意外と思い立ってからの行動は早い…そして多動…😂

色々やっていたけれど、こちらからお願いしてやらせてもらった、というよりはほぼ全部1、2年前にやっていたことの信用貯金的なもので「ご縁」をいただいて繋がったことであったのを振り返ってみて改めて思います。

とうとうIBMを退職してからの年月の方が長くなってしまった年でもありましたが、自分には合っているスタイルではあるのかな、というのを思い知らされてしまった一年でもありました。

そしてフリーランスは毎月ほぼ安定して仕事があるとはいえ、会社員の時みたいに社会保障が手厚いわけではなく、何かに守られているわけではないので、やっぱり近い境遇の仲間とか、理解のある人の存在には非常に助けられたなぁ、としみじみ思います。

2022年も仲良くしてもらえたら嬉しいです😊

ポリアモリーと人との関係性について

さて、上で少し触れていた「ポリアモリー」ですが、せっかくなので少しだけ書いてみます。

「ポリアモリー」とは?結構自然なことでは?

「ポリアモリー」は定義的には「誠実な複数性愛」とかになるんですが、実体としては別に複数でなくてはいけないわけでもなければ、性愛である必要もなくて、要は必ずしも一人ではない相手に好意を向けて、そのことを他の関係者にも誠実に話す、というようなことで、そういうポリアモリー的なスタンスって結構自然だし、別に恋人とのお付き合い云々だけの話ではなく他の色々な関係についてもいえることなのではないか、と思っています。

先ほどの「ご縁」の話とも関係していて、こちらが好意を持っていて、言葉や態度で好意を示す相手にはまぁ好意を持ってもらえて、となればこれはとっても良い循環を生むわけです。

私はあなたのこといいなと思ってます、ということを伝えて、別にその時仕事を一緒にしたり、あるいは交際することにならなくても、~するときに~の仕事お願いします、とか~に一回くらい食事でもしましょう、とか、お互いの間に何か絆めいたものが出来たら素直に嬉しいじゃないですか!

もちろん、伝え方の上手い下手、その時の状況なんかもあるので相手からも好意を返してもらえるかは分からないですし、大前提本当にいいと思っていないのに誰にでも言ったりしていては成り立ちませんが。

もしポリアモリー的なスタンスでなかったら…?

これ、ポリアモリー的なスタンスではない(モノガマスな、とか言ったりしますが)場合だと、例えば企業側が一方通行の採用面接を行って、将来的にいい関係がを築けるもしれないけれど、公平性などの観点から見送り後のやり取りは基本的に行いません、ということになったり、”ちゃんと付き合わない”ならもう連絡するのは辞めよう?とか、交際はやめたんだから連絡するのはやめよう?とかってことになるんだと思います。

「え、まぁそういうものじゃないの?」と思う方も多いんじゃないかとは思いますが、僕はなんだかもったいないことだな、と思います。

こういうスタンスを受け入れられないから不寛容だ、とかそういう話ではないですが、「この関係はこうあるべき」という暗黙のルールのようなものに従って、それ以外の可能性を排除してしまうのは、少なくとも僕はしたくなくて、その人その人それぞれに合った関係を築いていきたいかな、という意思表示のようなものをしてみたいと思います。

懺悔のようななにか

ここでちょっと懺悔みたいになりますが、特に大学生の頃くらいまで、おそらくこれを読んでいるほとんどの方もそうだと思いますが好きになるのは1人でなくてはいけない、というようなモノガマスな規範意識が強く、好意を向けられても今”お付き合い”は出来ないかもと思ったら気が付かないフリをしたり、色々と長文でパーソナルなことについてやり取りをしたりしているのに決め手になるようなことは言わなかったりというようなことを随分してしまったな、というので申し訳ないことをしたなと思います。ただ、決定的な一言によってそれまでの深い話のできる関係を断ち切って、一つを選ばなくてはいけない、というのは僕にとってはやっぱり辛いことで、そうなるくらいなら、というのでそうしていたことではあるのですが。

これはまぁ一般的に見て、世の女性陣から見ると「色んな人に思わせぶりなことを言って!」とか「色んな人に手を出してるらしい」ということになるでしょうし、現に割とそんな噂が立ったりもしていました。

何人かにはこういう出来事や心情を話していましたが、その人たちもモノガミーの規範の世界で育ってきているので受け入れがたい部分も多々あったでしょう。

振り返ると結構ポリアモリー的な性質を持っているかも?

何でこんな懺悔のようなことを書いたのかといえば、これらのことを振り返ると、やっていたことは割と「ポリアモリー」に近い部分あったなぁと思うからであって、ポリアモリーについての当事者研究やレポート・書籍を読んだりしていて、こうした僕の話もどこかの誰かの違和感の解消に繋がるかもしれないと思ったからです。

当事者の話の中で、「あぁ自分たちがやろうとしていたのはポリアモリーというのか」というように、現象に名前がついていることで少し楽になったとか、周りに少し自信をもって関係を説明出来るようになった、なんて話がしばしば出てきます。

ちょっと下世話な話のようにも思うかもしれませんが、こういうリアルな生の話というのは、ありありと実感できる”なにか”に触れるのに大事なことだと思うわけです。(哲学的に言うと実存主義的なそれですね)

とはいえ自分自身はポリアモリーなのか、というとよく分からないですし、運命のお相手、的ないわゆるロマンチックラブの素敵さも分かるし、そもそも自分は~です、という名前を付けるのが良いのか、とか色々思うところはあるのですぱっとポリアモリーです、とかそういう話ではない気がしますね。

「好意と、その関係に何を望むのかを伝えるということをしていきたい」

ここで改めてこの投稿の冒頭に書いた、「好意と、その関係に何を望むのかを伝えるということをしていきたい」ということに話を戻すと、大学の頃のことを振り返って、相手に受け入れられたかどうかは分からないけれど今だったらもう少し上手く伝えられたかもしれないなと思っています。「この人はどう思っているんだろう?」という漠然とした不安を抱かせる事は減らせたような気がするし、周りの噂が面倒で付き合いが億劫になるということも無かったかもしれないです。

こういうことを言うとちょっとあれかもしれませんが、5歳くらいからず~っと人間観察をしてきたので、人の言葉や仕草で少なくとも好意的か、特になんとも思っていないか、あるいは苦手意識を持たれてるか、とか大体何を考えているか手に取るように分かるので、あなたの向けてくれた好意のサインは「ちゃんと届いていたよ、伝わっていたよ」、ということをお伝えしたいのと共に、こうしてポリアモリーの話をしたからにはこれからはその人に分かる形でちゃんと好意を返していけたらと思います。

(ちなみに好意を持ったら僕は何があっても嫌いにはならないので、改めて普通に友達に戻ろう、とかそういうのもあったら嬉しいですね。)

相手の好意に素直に好意を返す、自分の行為を素直に伝える、という愛のあるコミュニケーションが自分だけでなく周りでも増えたらもっと愛のある世の中になるんじゃないか、なんて期待を込めて2022年、色々やっていけたらと思います。Love&Peaceですね!(まとめが雑)

おわりに

えー、一般的に割と恥ずかしいこと書いてるようですが、最近よくやっている哲学対話の場ではこういう気になるけど人前で話したり、まして記録に残るような形で書いたりするのは嫌、ということについてフラットに話したりするので、感覚が麻痺しております。笑

(ちなみに去年やった「愛と恋の哲学対話」はいまだにあれまたやらないの?って聞かれるのでまたやります。笑)

ポリアモリーについてや、気になったこととか話したい事とかあればコメントでもメッセージでもください!(知り合いの方はあの時はよくも、という恨みを込めたメッセージも甘んじてお受けします…😭)

2022年、皆さまにとって良い年となりますよう!

今年もどうぞよろしくお願いいたします🙇‍♂️

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