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ある母の記録のはなし

あっという間に半年以上が経ちました。
すごく時間がかかったけれど、
公演1ヶ月後から少しずつ書き進め
やっと記事を公開することができました。

改めまして、
NonoNote.旗揚げ公演
「ある母の記録」
ありがとうございました。

団体を立ち上げ主宰をやる未来が来るなんて
本当に思ってもみなかったけれど、
たくさんの方に関わっていただき、
見届けていただき、感謝しかありません。

そもそもの始まりは、
「5秒ぐらい死んでもいいかなって思った事がある」
という舞台を観た時に、

「過去の自分は救えないけど、未来の自分は救える」
というような台詞に出会えたことから。

〝未来の私を救いたい〟

これが「ある母の記録」の
きっかけとなった感情で、
自分が向き合えてこなかった
母とのことについて
向き合ってやろうと思った時、
その方法が私にはお芝居しかなくて、
私の話を、物語にしたいと思いました。

そうして立ち上げたのが

NonoNote.

のののおと。と読みます。
「のの」とは、神仏や日月など
尊ぶべきものをさす幼児語で、

普段見て見ぬふりをしてしまうような
本当は尊ぶべきこころの音に耳を傾け
掬い上げて抱きしめた記録を残す
という意味を込めました。

フライヤーは
私の理想を形にしていただき、

表面

私がドーンとなっているので
宣伝で使いにくいと感じている方もいただろうし
自分のこと好きやな~と思われたかもしれないし
でも私の団体であり私の物語なので
私が私として立つ覚悟を持ちたくて、
ちゃんと背負いたくてこのような形にしました。

表面で着用している指輪や、裏面の一部のお花は
カランコエの花がモチーフになっています。
(グッズの応援花もカランコエの花でした。)

母の誕生日・12月7日の誕生花。
花言葉は「たくさんの小さな思い出」

裏面

母との思い出を拾い集めたこの作品が
小さな思い出のひとつになってくれたら
そんなに嬉しいことはありません。


家族の物語ならば絶対にこの人だと、
劇団水中ランナー主宰 堀之内良太さんに
オファーさせていただきました。

基にしてもらいたい経験や思い、
私や家族のことをたくさんお話したのですが、
あくまで物語にしたいという私の思いを汲んで
私の過去と役の過去を行ったり来たり
ものすごく絶妙な塩梅で書いてくださいました。

私の演じた役は
佐藤笑美子 という名前だったのですが、
あまり好きになれない自分の笑った顔を
全肯定してくれる役名だったことも、

ある箇所の台詞を任せていただいたことも、

未来の私を救いたいと願っていたのに
過去の私を抱きしめられたことも、

会いたいなぁと言えたことも、

向き合うのはしんどかったけど
ずっと背中を押し続けてもらっていました。

私が私のことを救うために、
自分のためにと動き始めて、
当初は1人芝居をやりたいと考えていたのに、
劇場で、演劇という方法で、
たくさんの方に関わっていただき
この物語を形にしていただきました。

私が唯一自慢できることは
周りの人たちが素敵だということなのですが、
きっと私の目に見えていないところも含めて
当たり前に手を差し伸べてくださり
支えてくださる皆さんでした。

おひとりおひとりのご紹介はこちら↓


本当にたくさんの方に支えてもらって
最後まで上演することができました。

なんというか、
贅沢だったなぁと思います。

ショートケーキの上のいちごを
最初に頬張るような贅沢を、
贅沢だなぁと思うような自分が
居心地よくて安心するのですが、

こんなにも、こんなにも、
幸せを感じていいのだろうか、という日々で、
不安になる隙もないくらいの幸せでした。

起きてしまったことは変わらないし
母はいなくなったままだし
自分勝手な都合のいい感情ですが

過去の絶望が幸せな未来に繋がっていて、
死ぬほどしんどかったあの頃の私に
大丈夫だよって、言ってあげたいなって、
初めて思ってあげられました。

もちろん、良いことだけではなくて、
本当にいろんなことがあり、大変で。笑
最後までやりきれるのかという不安は大前提で、
やれるのかな?いや、やるしかないな、
っていうタイミングが何度もあったし、
お芝居以外のことに時間がかかってしまうし、
決断しなければならないし、孤独だし、
自分のことはどんどん嫌いになるし、

完全に心を閉ざした状態で
稽古場に行ってた時期もありました
(ごめんなさい)

今回関わってくださった皆さんが
手を差し伸べてくれる皆さんだったから、
最後までやりきることができました。
もちろん全てがやれたわけではなくて
次回への反省もたくさんありますが、
やって良かったと、思えています。

この作品は、
お世話になっている方や仕事仲間、友達、
そして家族にも観てもらいたいなぁと思っていて

武藤晃子さんは、私の初舞台からずっと
お世話になっている女優さんなのですが、
めちゃくちゃお世話になっているから
絶対絶対見届けて欲しくて、
その目標をかなえることができました。
むっちゃん、観にきてくれてありがとう。

母を亡くした当時の私を知っている友達や、
仲良くしてくださっている仕事仲間の皆さま、
自分と近しい方たちに観ていただけて
本当にうれしかったです。

新幹線の停電で父と弟には
観てもらうことはできなかったけど、
今回じゃなかったんだなと、
まだまだ頑張らないとなと、思います。
(新幹線は恨んでいないです)

そして
いつも応援してくださっている皆さま。
初めて出会ってくださった皆さま。
この物語を知っていただきありがとうございます。

母がいなくなった頃、
当たり前に朝が来ることがとてもしんどくて、
母がまるでこの世に存在していなかったように
存在していたこと全て否定されているように
私の絶望は取るに足らないものだと言われているように
日々が当たり前に過ぎていくことに、

母は間違いなく存在したし、
私の絶望もここにある、
何に誰に見つけて欲しいかわからないけど
確かにここにあると言って欲しかった、

母の存在も、押し隠して生きたあの頃も、
形にして記録として残すことができました。

この物語は、
ありふれた、誰にでもある、
私だけの、あなたの物語です。

だけどやっぱり、
私の物語で、私だけのもので、

キャストの皆様にも、
スタッフの皆様にも、
観てくださったお客様にも、
誰にも渡したくない宝物です。

だけど、
関わってくれて知ってくれて
自分の物語と感じてもらえることがうれしくて、
共有できるよろこびも感じています。

そのくらい、大切なものです。

何年か経ってまた笑美子を演じたいし、
そのもっと先に、
理恵子を演じられたらと思っています。
言葉にしたら実現しそうだから
ここに書き記しておきます。

またいつか、この物語が
皆様と出会える日を楽しみに。

最後に。
千秋楽後キャスト・スタッフの皆様から
サプライズでアルバムと動画をいただきました。
こんな私のために、と思ってしまうような私のために
本当にありがとうございます。

とてもびっくりして、とても嬉しくて、
「私もう死ぬんかな」って言いながら
大号泣している幸せな私を収めてくれていたので
ここに残しておこうと思います。

「死なないよ」って言ってくれたのは
父親役の工藤さんだった気がします。


このnoteを読み返した時に
笑える未来でありますように。

これからも、お芝居をします。


NonoNote. 主宰
璃音


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