松本人志『遺書』を読めばお笑いが分かるのか?
1.お笑いかぶれの若造がすみません。
お笑い芸人のプロフィールのなかで、
「影響を受けた芸人」の欄に必ずといっていいほど目にする"ダウンタウン"の文字。
そのなかでも一際目立つ、松本人志のレジェンドっぷり。
松本人志に憧れてこの世界に入った。
松本人志を崇拝して真似をしている。
こんな芸人をたくさん見てきた。
また、M-1グランプリの審査員紹介でも、
「漫才の歴史は彼以前、彼以後に分かれる」
とある。
しかし、20歳そこらの私にとって、産まれてきたときからダウンタウンは、「ただのテレビに出てるオモロいおっちゃん」であった。
私はダウンタウンが当たり前の世界に生まれ育ってきたのだ。
(この当たり前に感謝せねばならないということも承知。)
一度、絶賛されるダウンタウンの漫才を観たことがある。しかしそれは、ガキ使でのトークとなんら変わりない、台本あるの?という程の自然な会話であり、現代流行りの、まくし立てるようなボケとツッコミ、暴れ狂うコント漫才とは一線をかすそれに、ひどく驚いたものだ。
そしてわたしはその止まらぬ興味から、松本人志を崇拝するあらゆる芸人のバイブルであろう『遺書』を手に取った。
Amazonの古本で、1円。
送料308円。
それはまさに、お宝だった。
2.本について
時は1993年。週刊朝日で連載されていた松本人志著作のコラムだ。各話題1ページ半と、挿絵で構成されている。
うむ、なかなかに尖っている。
とにかくイテテテという感じ。
若気の至りムンムンである。
自分の気にそぐわない人間をとことん見下し、挑発する。
自分こそ1番おもしれぇんだと高を括りつづけるそれだが、不思議なことに、まったく鼻につかない。
むしろレジェンドにふさわしい著書だと圧巻した。
なんせこの当時30歳にしてお笑い界を凌駕し、芸能界の長者番付2位にまで君臨しているのだ。
無駄なことはしないし考えない、質のいい人だなぁ。
こんな人になりたいなぁ。
ここで、胸に刻んでおきたい松本人志の言葉をいくつか。
・【芸人は、サラリーマンではないのだ!この世界では、一人ひとりが社長なのだ!その会社をどう大きくしていくかという弱肉強食の世界なのだ。バカヤロー!】
「オレが島田紳助に弟子入りしなかったのはなぜか!?」より
・【子供というものは、あんたらが考えているほどバカではない。テレビと現実をちゃんと区別して考えられる生き物である。】
「下ネタで苦情言う奴らはシェルターで子供育てろ」より
・【ヤバイ!ヤバイのだ!だんだんオレの顔が"やさしく"なってきたのだ!世間であたり前でも、オレにとっては大問題である。もっと、ギスギス、トゲトゲしく、体中から毒素を発散している芸人、それがオレの理想なのだ!~人の悪口で笑いを取ることが、いかにテクニック&根性がいるか理解していただきたい】
「毛ジラミで笑いをとるときオレも少しは傷ついている」より
・【オレの笑いが理解できないということは、酒を飲めないヤツといっしょで、オレの笑いを理解できるヤツの半分しか人生を楽しめてないのだ。】
「センスとオツムがない奴にオレの笑いは理解できない」より
・【オレの番組にかかわる人たちには、「まぁ見なさい。笑えるから」くらいの姿勢でやってもらいたいものだ。客にコビたような笑いなど、クソくらえだ!】
「笑ってあげる!?クソくらえ オレは笑わせタレントだっ!」より
他にも、いろんなことに手を出す奴より、ひとつの物事を極めるプロフェッショナルがええんや!と語るように、まさにお笑いを極め続ける彼。こんな尖っているなかでも、父親への反発やタクシー運転手の何気ない応援を奮いに頂点へ登りつめようとする純粋な面もある彼。とにかく浜田さんが大好きで、相方という関係に誇りをもっている人間らしい彼。
この鋭さこそ、いまのテレビにはない面白さなのではないのか。
コンプライアンスがなんだ、多様性がなんだ。
それだけのことで傷ついてムカついてイライラしてしまう現代人の心の狭さったらありゃしない。
景気が心の余裕をなくさせているのであれば、早急に経済改革が必要だ。
ストレスが原因なら、今すぐ電車を二階建てにするとかして満員電車の問題を解決せねばならない。
もちろん、単なる言葉の暴力や悪口はダメだ。
しかし、暴力ではない攻撃もあるし、悪口ではない悪口もある。(何を言ってるのかわからなくなってきたが)
それは今年のM-1グランプリのウエストランド優勝でも判っただろう。
たしかに、いじめ問題は深刻に考えなければならない。
しかし、プロのお笑い芸人がいうそれは、他人の欠点を魅力的に変えるものである。
コンプライアンスに敏感になりすぎては、せっかくの魅力に気付かないことも有りうるのだ。
そう考えると、お笑いってただ一瞬の面白いという笑いだけではなく、窮屈な考え(悩み)から解放させてくれて、人の心を変えて生きやすくしてくれるものなのだ。
そしてその基盤をつくったのが松本人志、ダウンタウンであって、『遺書』にはその(尖りの)全盛期が語られている。
時代によって流動するお笑いであるが、いまも変わらずダウンタウンの会話(漫才)を聞いて笑えることが伝説であり、これからの日本を明るくするカギでもあるのだ。
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