【物語】若衰申請書①

この世界では『死』を申請することができる。
出生届を出した際に役所から貰える1枚のカード、その名も『若衰(じゃくすい)ポイントカード』。80ポイントが上限のポイントカードである。
普通のポイントカードと違う点は、ポイントを貯めるだけでなく取り消すこともできるということ。そして、上限に達した人はその日のうちに必ず亡くなるということ。噂によると、苦痛を感じることなくコロっと逝けるらしい。
この世界では『若衰』と呼ばれているが、他の世界では『安楽死』と呼ばれることが多い。
毎年誕生日に1ポイントが自動で付与されるシステムになっている。つまり誰しも年齢分のポイントは持っているわけだ。この誕生日に付与されるポイントは固定なので取り消すことはできない。
また、悪事を働いたり、軽度の傷病を買ったりすることでポイントを貯めることもできる。このポイントは取り消すことが可能である。

「1ポイント分の病をください」
「かしこまりました。少々お待ちください」
僕は終わりに向かうこのポイントカードを必死に貯めている。どうやらポイント数の高い重度の傷病は自分の希望では買えないらしい。誰に与えるかは神様がランダムで決めているという噂を聞いた。
どうせなら死にたい人たちに与えてくれたらいいのに。

僕は自分が嫌いで、早く死にたかった。
いつからだろう。他人が全員輝いて見えて、僕だけが劣っている価値のない人間なんだと思うようになったのは。
辛い出来事も確かにあった。ただ、負の環境がこの性格を作り上げたのか、この性格が負の環境を呼んでしまったのか、因果関係は分からない。いつからか疑うこともなく自分を否定し続けるようになった。
僕には行くあても帰る場所もない。これまでも、これからもきっと。

町ですれ違うあの人やこの人は、きっと生きるべくして生きている人間なのだと思う。
僕は今まで何もかも人に譲って生きてきた。それは優しさなんかじゃない。ただの偽善だった。人に優しくすることが、存在という僕の悪のせめてもの罪滅ぼしだった。
いつだって余り物でいい。いつだって余り者だから。

そんな上っ面の優しさでさえ、この世界では評価されてしまう。ああ、ポイントがまたひとつ消されてしまった。
僕が望む世界は近いようで遠すぎる場所にある。

社会という病の中で、一人だけ健全でいるほうが却って不健全ではないだろうか?死ぬことが怖くないうちに死んでしまいたいと考える。
僕が信用できるものは絶望しかないのかもしれない。
『悲しみ』や『苦しみ』なんて、現世の悩みはどれも生温い。真っ暗に見える夜だって、かすかな光はあるはずなのに。いつだって月や星ばかり探して、嘆いてしまう。

だらだらと、ずるずると、液化した感傷に呑まれていく。僕は『終わり』について思いを巡らすことが好きみたいだ。

死んだところで楽になれる保証なんてないはずなのに。
現世が終わった瞬間、休む暇もなくまた次の世界が始まってしまうかもしれないのに。
それでも人は楽になれる方法を探してしまう。
希望的観測で未来を描いてしまう。

死を望むこと、それは絶望の膜をまとった希望なのだと思う。今よりも楽になれる場所に行きたい。そのための対価が、痛みだったり恐怖だったりするのだろう。
心がぐしゃぐしゃになって麻酔が効いているうちなら、僕もその対価を払えるだろうか。
もうこれ以上の痛みはないと確信できた時なら、勇気を出せるのだろうか。
だとすればそれはいつだろうか?

もしかしたら今なのだろうか。

だとすれば……。

散らかった部屋をそれとなく見回す。

テーブルの上には、毎日服用している精神薬がある。頓服もある。市販薬もある。
そばに置いてあった生温い水で、できるだけ沢山の錠剤を喉に流し込んだ。

部屋の押し入れを開けると、以前購入した練炭とロープが眠っている。ずっとその存在を心のお守りにしてきた。「いつでも楽になれるよ」と自分に言い聞かせるための存在だった。

これらを浴室に持っていこう。剃刀とお酒も持っていこう。浴槽にお湯を張ろう。
中途半端になってしまえば、今以上に辛い日々が待っているかもしれない。
確実にやり切ろう。確実に楽になろう。
飲んで、呑んで、切って、吊って、吸って、溺れて、救われよう——

だんだんと脚の内側に掻痒感が広がっていく。
ぼんやりとした心地良い感覚に包まれていく。
視界が薄紅色に染まっていく。
急がなくてはいけない僕は、何故だか幸せな気持ちになりながらこの時間を惜しんでいた。

意識が薄くなっていく。

ああ、駄目だ。上手く頭が回らない。

(若衰申請書②へ続く)

次の話:https://note.com/_rhminus/n/nc5633b105b2a

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