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言い訳と詩

 どうもお久しぶりです。初めましての方は初めまして。Kyojinと申します。毎日更新を目指して頑張りますと宣言したのが懐かしいくらい投稿していませんでした。今から言い訳します。書いてらっしゃる方ならお判りいただけるでしょうが、毎日書くのって結構しんどいんですよね。日記とか雑記ならまだしも、構成を考えつつしっかりした文章を書くのって目茶目茶手間かかるんですよ。これが本業というわけでもないので。それに加えて、言語化することで新たな発見があるだろうと思って書き上げてみてもあまり面白い発見がなくて萎えちゃったりとか。あとはビューとスキが伸びなくて落ち込んだりとか。自分のために書いているつもりの文章が、他人に評価されなかったからという理由で駄作に思えたりするのも嫌になったり。それでわざわざ時間と根気を使って執筆&投稿するのに意味あんのかなーとか考えてたら一気に創作意欲がなくなっちゃって。というわけです。

 じゃあなんでまた投稿することにしたのかという疑問が飛んでくるでしょう。その答えは至ってシンプルで、純粋な創作意欲は途絶えていなかったからです。ていうか投稿するつもりはもともとなくて、心の中のわだかまりを発散したいという衝動に駆られたらいつの間にか言葉になっていたので、それを投稿してみるか、という感じです。長々と書きましたが口上はこれくらいにします。今後も気が向いたら投稿することが有ると思うので気が向いたら読んでやってください。


固体

激情が迫り上がる
喉元まで、或いは指先まで出てくるが
客観的価値を伴っては顕現しない
この滾って、今にも迸る陶酔の予感は
際限なき落胆へと代謝されてゆく
喚き、叫び、打擲し、破壊の限りを尽くす
ただそれだけで良いのに、いつしかこの心は
言語と云う牢獄の中で罪悪感に諂笑している

その自傷が己への罰か
徒に季節を重ねて仕舞った己への罰か
下らない、と吐き捨てたい
達観気取りの諦観ほど唾棄すべき堕罪も無い
残滓、言葉に縛られない部分の心を
蒙い儘に愛するしかないのだと解っている


心象点景(一)

悪夢的な直感から逃れるための足掻きは
徒に己の存在を茶化すのみに終わる
俯瞰的な厭世は毒々しい重苦しさをたたえ
私と私以外のものの界面を覆っていた
咒う言葉は容易く浸透し
希望を衒う言葉は裏返しになって苛む
人の全てが醜悪な渦で、その中心にあるのが自分だった
怠惰も舌禍も苦痛の証だ
これが人の謂う所の「青春」である

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