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丁寧

本稿は映画「花束みたいな恋をした」の若干のネタバレを含みますのでご了承ください。

わたしは「丁寧な暮らし」がしたいなと常日頃から思っている。それは最近できた近くのパン屋さんを楽しみに仕事や学業を頑張れること。普通なら飛ばしちゃうような、雑誌の隅っこに記載されているエッセイをも取りこぼさず楽しむこと。感情の揺れや心の機微をしっかりと見落とさないこと。

今日は映画「花束みたいな恋をした」を見てきた。この作品のメインの2人はそのマインドを持ち合わせていたように感じた。それは言葉遣いにも表れていて、「電車に乗っている」ではなく「電車に揺られている」というワードが咄嗟に口から出てくるシーンなど、所々に見受けられた。個人的に1番印象深かった。それは異性と一緒にいて自分をカッコよく見せたいからという理由であらかじめ用意された言葉ではなかった。全くの素の状態できれいなものが音として発せられていた。映画全体としては何ともない冒頭のシーンがわたしの心をじんわりと満たしていった。

解像度を上げるならば、「丁寧な暮らし」とは「どれだけ小さなことにアンテナを張れるか」ということだとわたしは認識している。あまりにも小さなことだとしても、その小さな光はわたしを綻ばせてくれるだろう。

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エントランスまで立ち込めている、不織布を貫通するほどのキャラメルの匂い。駅ビルの上階にあるひっそりとした保育園や歯科医院の存在。わたしは今日いつもより多くのことを網膜に焼き付け、鼻孔に刻み込んできた。

上映が終わると、わたしはすぐさまiPhone付属のイヤホンを耳に差し込み、この映画のサウンドトラックを流し始めた。そして全25曲、約1時間ものあいだ土手を散歩した。映画を見た後に、誰にも邪魔されずにサントラを聞く。こんなに楽しい時間はない。心地の良いアコースティックギターが流れ、両耳を潤してくる。モニターはどこにもないのに、さっき見た映像がわたしの頭の少し上あたりに投影される。

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帰りの電車。

車内の広告に焦点を合わせる。「免疫機能の機能性表示食品」「病院不要 簡単 PCR検査」と書かれた広告が威張り散らしていた。以前は脱毛やダイエット関係のものだったのに、いつの間に変わっていたのだろう。しばらく電車を利用していなかったので知らなかった。



プラスとは思えない事柄だとしても、わたしは細かいところまで気付ける、「丁寧」な人間になりたい。

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