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Aかもしれない

【最後まで無料で読めます】

こんなはずじゃなかった。そう思うような経験は、誰しもあると思う。でも、「じゃあどんなはずだったのか」って、わからないんだよね。

今日は、性のことを書こうと思います。性というか、恋愛というか。
でも、たぶんこれは、「誰もが興味を持つような、楽しいお話」ではありません。きっと多くの人にとって、「はあ?」っていう、わけのわからない話だと思います。なぜなら、当のわたしも、「はあ?」と感じているからです。

わたしは常々「自分のことを書くのが苦手」と言っていますが、その原因のひとつは、自分がマイノリティ的な要素を持っているところにあると思っています。
「人と違う」からこそ、「人と同じ土俵で書く」ことが難しいんじゃないかな。わたしの書くという行為を妨げている「違い」のひとつを、今日は勇気を振り絞って取りあげてみることにします。

僭越ながら、この投稿は有料にさせていただきます。お金がほしいわけじゃないんですけど、ごめんなさい。
理由は下記の通りです。

興味ないな~ってかたは、別の話題を書いているときに、また覗いていただけたら嬉しいです!基本的に、普段の投稿はすべて無料公開しています。
七志野さんかく△Twitter @_oya_smi

#自己紹介的な #恋愛観 #マイノリティ

【追記】この先も無料でお読みいただけます。ご興味を持っていただけたなら、ぜひ。

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先ほど、この文章を書くのが「誰のためなのかわかりません」と書きました。自分のためとも言い切れないし、じゃあ過去にわたしと仲良くしてくれた殿方のためなのかと言えば、それも違うと思う。同士を探すため?自分の状態を人と分かち合いたいと思ったことはないけれど、でも、誰か似たような人がいれば気が楽なのにっていう思いがあるのは、事実。

性の話と言うと、LGBTぐらいまではなんとなくこのごろ知られるようになってきたかなって思いますが、実はもっとたくさん種類があるんですよね(わたしもあんまりわかってないので、いま調べました)。

LGBTQとか、LGBTQIAとか。え、なに、どこまで増えるの?円周率なの?LGBT+っていう言い方もあるみたいなのですが、それって「とりあえずざっくり3.14でいいよ」的な感じですか?最初の方「3.14」「LGBT」は知ってる、「...1592」「Q」ぐらいまでは聞いたことある、その先は「うーん?」みたいなさ。
いや、円周率のほうはまだまだ続いてるものの、LGBTはサッと検索しただけじゃAまでしか出てこなかったんですけどね。長さの違いはあれど、なんとなく似てませんか。

たぶんわたし、Aです。呼び方の最後のほうにくるってことは少ないのかな、と思ったら、1%くらいだそうです。1%って聞いても、多いのか少ないのかピンときません。だって、1だろうと10だろうと、はたまた0.001だろうと、「わたしがそうである(かもしれない)」ことには変わりがないからです。

Aとは、アセクシャル。
性欲がない、あるいは恋愛感情がない人、のことを指す。

人を好きになるとは、まったくどういうことなのでしょうか。
「しゃべっていて楽しい」だけではだめなのでしょうか。
「また会いたい」だけではだめなのでしょうか。

友人から、「え、それってただの友達じゃん」と言われたことがあります。曰く、体の関係があるかどうかが、友達と彼氏の境界だ、と。そうだとすれば、わたしに”彼氏”がいたことは、未だかつてありません。

そういえば、この手の話をする場合、前提条件の説明が要るでしょうか。
わたしは女です。生まれながらにして心も体も女で、それ以外の考えをいだいたことはありません。

でも、「女性として見られること」に、抵抗があります。
たとえば、少し前に仲良くなった殿方がいますが(ことばの上では「付き合おう」と交わしており、お互いにそのつもりでした。ただ、前述の通り、体の関係はありませんでした。キスハグどころか、手をつないだのが最接近です)、わたしは彼から「かわいい」と言われると、とても反抗的になりました。

実際に相手にそういう態度を見せることはしませんでしたが、自分のなかでは大騒動が起こっており、かわいいと言われた状況の「逆」を生み出そうと、必死でした。

彼は髪をおろしたわたしが好きだったのですが、それを聞いて以来いつもハーフアップにしていましたし、「似合う」「いいね」などと言われた洋服は、彼の前では二度と着ませんでした。それどころか、言われたその日に、帰宅してすぐ捨てたこともあります。

過剰なまでの、拒否反応。

高校と大学の計7年間、女子校に通っていましたので、自分を女性だと認める機会は多くありました。でも、それは「自認」に過ぎず、他者(とりわけ異性)の目線で「女性らしさを認識される」ことには、不慣れも甚だしかったのです。アルバイトやサークルなど学外のコミュニティに顔を出すことも少なく、当然、「出会い」と言われるようなものとは無縁でした。

彼が初めて手をつないできたときのこと。忘れもしません。
冬でした。
わたしは手先が冷えがちなタイプで(だからって心があたたかいとも思わない)、彼は体温高めの人でした。
そんなわたしにとって、彼の手はカイロのよう。

でも、それは、わたしの求める温もりではなかったのです。心の中で「やめて!!!」と叫んでいました。

自分でもびっくりしました。この人のことを好きだと思っているはずなのに。こんな風に言ったら嫌われるかもしれない、と思いました。

きわめて平静を装って、「荷物を分けて持ちたいから、ちょっとごめんね」と言って、放してもらったように思います。そのときわたしは2つか3つ、荷物があったので(なんでだろう笑)、片手ですべてを持つのは重かったのです。彼は「荷物、手伝うよ」と言ってくれましたが、「いい、自分のものは自分で持つ」と言って、わたしは聞きませんでした。

世が世なら「もう~、ソーシャルディスタンス☆」とかって言って、しれっとごまかせたのかもしれませんが、当時の彼にはすぐバレました。
次に会ったときに、「手をつなぐの、いやだった?」って聞かれたので、
「うーん、なんか、へんな感じがした。初めてだからかな」と言ったら
「そのうち慣れるんじゃないかな」とのことで、
「ごめん、あんまり慣れたいと思わないな」と素直に伝えました。

誤解のないように改めて言いますが、彼のことが嫌いなわけではないんです。

好きか嫌いかで言えば、もちろん好き。話していて楽しいし。

でも、好きか愛しているかって聞かれたら、「好き」どまりだったのかもしれません。それが、「ただの友達じゃん」って言われる所以なのかも。

前述のようにわたしは女子環境に長く身を置いていたことで、男友達と呼べる人がひとりもいません。だから、友人の言う「ただの友達」というのが、ピンと来ませんでした。かと言って、「愛している」というのもピンと来ませんでした。

そういえば、そろそろ夏本番ですが、わたしは浴衣にもまったく興味がないのです。
夏が近づくと、友人らが「浴衣着たい!花火!」と嬉しそうにしている姿を見かけます。でも、わたしは着たいと思わない。というか持ってない、浴衣を。欲しいとも思わない。
これも、もしかして「女性として見られること」を避けようとする動きの一環なのかもしれません。無意識だったけれど、考えてみればそんな気がしてきました。

こんな話をすると、ボーイッシュな服装が好みだと思われるでしょうか。実は、私服は8割方スカートです。9割かも。

女性らしさ云々を意識して避けるのではなく、「それが似合うから着る」ことを選んでいます。パンツスタイルが似合わないから、という消極的な理由もありますが(笑)

ちなみに、アセクシャルという概念を知る以前は、「男性恐怖症かも」と思っていました。

「恋愛をするのが普通」である人にとっては、「なぜしないの?」と疑問に思うようなのです。「なんで彼氏つくらないの?」と聞かれることもちょくちょくあるので、それっぽい返答ができるように、自分なりに考えていました。

それで、一時期「男性恐怖症」と説明していたこともあるのですが(女子校生活が長いと、男性に対する恐怖をいだくのは珍しくないようですし。もともと男性が苦手で女子校を選ぶ人もいれば、たまたま女子校に入ってみたらだんだん男性が苦手になってきたという人もいて、形態は様々)。

でも、わたしが苦手なのは、よく考えてみれば「男性(という存在)」ではなく、高圧的な人であったり、気の強すぎる人であったり、です。性別に限ったことではありませんでした。たまたまそういう雰囲気の人に男性が多いというだけで、女性にもいますし、当てはまらない男性もいます。

つまり、男性恐怖症ではないのですよね。
でも、だからって「=恋愛できる」わけではないので、その部分の理解に、我ながら苦しんできました。そしてようやく思い至ったのが、アセクシャル。

誰かに相談したり、助言を受けたりしたことは、ありません。自己判断で勝手に言っていることなので、確証もありません。でも、きっと、そうなのです。

そして、そういう人が、少なからずいるということ。一説によれば、1%。

なかなかに元気づけられる発見でした。

やっぱり、心のどこかで同士を探しているのかもしれない。語り合いたいとか、相談したいとか、そういうんじゃないけど。

長文になりましたが、もし最後まで読んでくださったかたがいらしたら、ありがとうございます。
冒頭と重ねてのご案内になりますが、普段の投稿は無料で、もっと軽いテイストの、ほっこりするようなことを書いています。
よろしければ、これに懲りず、また覗いていただけると嬉しいです。

【以下、追記】はじめにも書いたように、これはもともと有料noteでした。正確には、しばらく無料で公開したのちに、いったん有料化していた投稿です。

しかし、有料にしたあと、ダッシュボードの数字は少しずつ増えたものの、購入歴がない。それはつまり、「わたしが書きたかった部分が読まれていない」ことを意味します。本末転倒だな、と思い、再度の無料公開を決めました。

これもはじめに書いたことと重なりますが、この投稿を書くにはとても勇気がいりました。もし、もしもなのですが、よくがんばったねと言ってくださる方がいらしたら、ご購入いただけると嬉しいです。

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