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【走馬灯】小学校編

小学生の三年生まで体力がなかった。
持久走大会では、いつも後ろから3番目くらい。

運動は嫌いではなかったが、
疲れることは嫌いだった。

母親がピアノを弾けるので、
少しだけ教わる機会があったが
間違えを重ねる度に母がイライラしているのを
感じ、それがストレスで教わるのを辞めた。

勉強も同様。
基本的に家庭内で何かを教えるのは
母の役割だった。
最初は優しいのにどんどんイライラしてきて
勉強は母から「教わる」ものではなく
「怒らせるもの」というイメージに変わり
嫌いになった。
そこに私の学びたいという主体性があったなら
全てを母のせいにできたが
私自身もそこまで勉強に興味があった訳では
無い為、勉強をしなかったのは自分の選択で
責任も自分にあると思っている。

ただ、自分が親になる機会があるなら
私は子供がする選択の邪魔をしない親になりたい
と思った。

子供が上手くできないことを子供のせいにして
ただ責めるのではなく、
どうしたらもっと分かりやすく伝えられるのか
自分自身の伝えるスキルを上げようと考える。
成長意欲と余裕を持った人でいたい。

その為には「余裕」の土台となる自分自身の
精神状態が安定していなければいけない。

今は、自分を幸せにする方法をいくつか
自分で把握している。
ただ、子供がいるという状況でも心を平静を
保てるかと言われたらその自信はない。
もっと自分を幸せにする方法とストレスから
逃げる方法を見つけてバリエーションを
増やしておくことも今後の人生の課題だと思う。

今回の記事でも大きく脱線してしまった。

小学生の自分に戻ろう。

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小学生の私は人に好かれることに
そこまで興味がなかったが、嫌われることには
かなり抵抗があった。

私の中で「嫌われる」ことは、
他人から自分にイライラをぶつけられること
だと捉えていたからだ。

人が自分にイライラしているのを感じると
私は嫌な気持ちになる。
ほとんどの人がそうだと思うけど。

自分が他人を不快にさせていることと
他人の不快感を自分が受け取ってしまうのが
嫌だった。
だから嫌われたくなかった。

そう考えられたのはきっと母のお陰だと思う。
反面教師にしたよ、ありがとう。


漫画やドラマで好かれ、人気がある主人公は
素直で天然で明るくて可愛い子。
こんなことを言うとちょっと恥ずかしいけど
寄せてキャラを作っていた。
女優か。小さい頃から私は女優だったのか…

これが普通なのか、普通じゃないのかは
多くの人にアンケートを取らないと分からないが


こういった行動の背景には
自分は幸せでありたい
不幸でありたくない

と、昔から損得勘定で物事を考える癖が
あったからだ。

不幸だと損だから、幸せでいよう。
嫌われると嫌な気持ちになって損だから
好かれるように行動して、損から逃げよう。
そう考えて生きてきた現在の私は
人間関係の構築を上手にできる自信がある。
実績として、人生でいじめられたことは
1度もないし世間一般的に定める「友達」は
ずっといた。

ただ、好かれることと嫌われないことの
バランスが分からず、厄介な思いをしたのは
中学生の頃の話。