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【走馬灯】幼少期編

小さい頃、とにかく泣き虫だった。
つまり、小さい頃から私は賢かった。

勉強ができるという意味ではなく、
『泣く』ことで自分に関心を持たせ
構ってもらえる手段だと分かっていて
泣き虫だった。

子供にとって『泣く』ことは、
自分が愛されているかどうか手っ取り早く
確認できる優れた手段だと思う。

泣く私に構ってくれる両親、祖父母
その存在がいつも近くにあったから、
今の自己肯定感が高く世界一自分が好きな人間に
なれたんだと思う。

今は鬱陶しくて過保護な家族達だと
思っているけど、その過保護な家族のお陰で
今の私がいる。

構ってもらう手段だけではなく、
目的が自分の内側にある時も泣いていた。

その時の気持ちを溜め込むことができない性格の
私は悲しかったら涙を流すことで
『自分は悲しい』と自分の内側にある感情を
涙に形を変えて吐き出していた。
人に悲しいよと伝えたい時も
涙を流すことで目で見てわかりやすく伝わる。
自分自身の感情を自分の内側に溜め込まず、
他人にも自分の意思を常に伝えたいと考えていた。

あと、感受性が豊かなのもあると思う。

保育所の卒業式の時
この場所にみんなで集まることはもうないんだ
先生とはもう会わなくなるんだ
明日からの毎日に
これまでの毎日はもう、なくなるんだ
と思いながら『君も心の翼ひろげて』を歌い
号泣したのを覚えてる。

歌詞:福尾野歩
作曲:才谷梅太郎

たんぽぽつんだつづみのどて
くさのかおり春の日
まっくろなかお プール開き
ぎんやんま飛ぶ夏の日
秋をむかえ冬を過ごし
新しい旅立ち
きみも心の翼ひろげて
明日へ飛び出してゆこうよ
きっと明るい太陽が
ほら君にかがやいているから


サビ前の
「新しい旅立ち」

サビの
「明日へ飛び出してゆこうよ
   きっと明るい太陽がほら君に輝いているから」

ここでちびっこおのだの涙腺は故障。
大号泣しながら大好きなこの歌を熱唱してた。

実際に走馬灯が見れるなら是非俯瞰で
この時の自分をみせてほしい。
絶対面白い。

他に幼少期で覚えていることは、
Mちゃんとフラフープを取り合って
喧嘩をしたことくらい。

あれが人生で最初で最後の女の子との
喧嘩になる思う。妹を除いてだけど。

私は自分が定義する『友達』と呼べる人が
一人もいないから、人と深く関わること自体が
少ない。

まして女の子は否定されたり、
共感してもらえないと
この人は私のことをわかってくれない=嫌い
という雑すぎる方程式になると
自分の人生経験上考えている

喧嘩をする=関係崩壊
グッバイ、友達。になってしまう

そう捉えている私は、友達を作ることも喧嘩を
することも難しい。
まず友達を作ることがかなり難しいから。

(友達の話に脱線)
私は共感も大事だけど、
考えを尊重し合って伝え合える人と
友達になりたい。
だってそうじゃなきゃ誰でもよくない?
思ってもないことに共感して、わかる〜って
言うだけならその人である必要はどこにもない。
肉体を持ってないだけでSiriとお話ししてるのと
何ら変わらない。
いや、Siriの方がマシかも
「すみません、よく分かりませんでした」って
分からないことには共感もしない潔さ。

…Siriは置いといて。

私は同じように自分の頭で考えることができる
人間と、思考の情報交換をして
そこから自分に合った考えを取捨選択して
どんどん自分をブラッシュアップさせたい。


脱線が止まらないので幼少期編は終了です

ではまた次回の走馬灯でお会しましょう。