はじめの一歩
「私の人生の結末は、貴方に決めてもらいたい」
もし私が、自伝や自叙伝などを書くならば、最後の一文はこの文にしたい。
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私は、言語聴覚士(ST)を目指す大学3年生だ。
元々は中学校の国語教員を目指していたが、大学受験の結果もあり、今はこの道に進んでいる。
希望は小児分野、特に吃音を専門にしたい。
就学前の子どもだけでなく、児童・生徒・学生まで対象にしたいと考えているのはかつての夢の名残であろう。
4月頃に知ったが、つい最近、吃音・小児構音障害領域で認定言語聴覚士が初めて生まれたらしい。
他にANSD、APDという「聞こえているけど聞き取れない」ような症状が特徴の聴覚系の障害にも興味があり、個人的に少々勉強をしているところである。
実はどちらも私が過去に、あるいは現在も経験している障害である。
後者の障害については、可能性の話ではあるが。
その経験や、なぜわざわざその障害を専門にしたいと思ったのかについては、また今度書くことにしよう。
本名は事情があり公開できないが、大学を卒業する頃にはきっと、明かしていることだろう。
いずれは小児STという立場や、吃音の専門家として発信者の立場になりたいと考えている。
今は仮に、おりひめくんと名乗らせてほしい。
私の中ではとても思い入れのある名だ。
さて、これは、私の人生記録という役割を担うし、思考の整理という役割も担うだろう。
いわゆる、自己満足の文章の羅列になるかもしれない。
文体も、その時その時の気分できっと変わるだろう。
特に今の体裁で書いた文章を私の知り合いが読むときには、共感性羞恥に苦しむ者もいるだろう。その点は、ご容赦いただきたい。
これから私が書くであろうテーマは多岐にわたる。
夢や希望、考え方、生き方などの私自身のこと
身の回りの出来事のこと
言語聴覚士(ST)のこと
大まかに分けるならこのような3系統であろうか
きっと、私の独断と偏見に満ちた世界が、このnoteでは広がっていくだろう
それを否定する者もいれば、受け入れることを拒む者もいるだろう
逆に、興味をそそられる者や共感する者、新しい発見を喜ぶ者もいるかもしれない
どんな人にも、ぜひ読んでほしい。
「なぜ、今になってnoteを始めたのか」
きっと、日頃の私を知る人などは特にこの疑問を持ったのではなかろうか。
この疑問に答えて、今回は終わろうと思う。
少々長くなるが、お付き合いいただきたい。
きっかけは、私の友人
といっても、ただの友人ではない。言うなれば “財産” だ
先日、彼と2人でオンライン飲み会をしたのだ。
近況報告にとどまらず、将来のことなど、実に多くのことを話した。
その中で、酔いが回っていた私に詳細な記憶は残っていないが、こんな話があった。
かなり大雑把に、一文にまとめたが、間違いではないだろう。
私は文章を書くことは好きだ。
自分の考えを文字にして形にすることに対し、魅力を感じていたことは事実であるし、やりたいと思っていた。
しかし、そのタイミングは今なのか、常にその疑問と向かい合わせだった。
今この場では、彼のことは「財産」と呼ぶこととする。
だいぶクサい言葉かもしれないが、あえてそう呼ぼう。
財産はあの時、私に気づかせてくれた
私の人生の軸・生き方を誰かに伝えたい
そんな思いが、私の中にあるのだと。
私が将来、世に向けて発信していくなかで、仲間を得る上で
私の持つ軸を知ってもらうことがどれほど重要か
そんなことを感じるようになった。
それをメモ書きのように残しておくことの重要性も。
まさに ”note” だ。
このように公の場で自分の考えを発信することは、ある意味では自分の考えの押し付けになりかねない。
そもそも、私のようなただの大学生の言葉にそれほど真剣に向き合う者など少ない可能性もある。
何か成し遂げたわけでもない。誰かを成功へ導いたわけでもない。
これまでに何か、目に見える大きな行動を起こしたわけでもない。
そこら辺に転がっている大学生なのだ。私は。
それでも、私はただ、今の私を知ってもらうために書く。
今の私を遺すために書くのだ。
それを理解してもらいたい。
今の私の言葉には、一切価値がないかもしれない。
最近のドラマの言葉を借りるのならば、半径3メートル以内の幸せをつかむ者になるかもしれない。それだけで満足する人間になるかもしれない。
半径3メートルの外に出て、日本中、世界中に影響を与えるような偉大な功績を上げるかもしれない。それ以上を求める人間になるかもしれない。
ただし
どんな形でも、私は、私の言葉に価値があると感じてもらえる人間になる。
言葉でなく、背中で語れるかもしれない。今の私にその器はないだろうが。
今は何の価値もないこの文章たちが、将来大きな価値を持つことをここに誓おう。
私がもし将来、本を書くことになったとき
きっとこれから残していく文章の数々は、私の大きな手助けになる。
20代の私は何を考えていたのか。当時の私は何を思っていたのか。
あえて肯定的すぎることを言うと、
私以外の全ての人からすれば、発行前の本を何年も早めに読める機会と捉えることもできるかもしれない。
知ってもらうくらい、良いではないか。
私の言葉が人生のひとかけらにでもなれば、良い。私はそれを望む。
とにかく、今始めなければいけないと思った。
というより、始めようと思った瞬間が始めるべきタイミングだったことを思い出したから、始めたのだ。財産が気づかせてくれたのだ。
タイミングは今だったのだと
あの場で、あの時の会話の中で。
少し弱音を吐くならば、
私の軸を肯定したいと思った結果なのかもしれないとも思う節はある。
正直、最近の私には人生の軸がブレそうになる出来事が多すぎた。
でも、だからこそ、
財産が提供してくれたこの気づきは偉大なものに感じた。
やはり軸はしっかりしていてこそ、軸というものだと思う。
さて…
まだ、この ”軸” というものを公にはしない
せっかくならば、これから私が書いていく文章を読んで、推察してみてもらうのも、おもしろいのではないだろうか。
人生を考える。そんな時間にしてもらうのも良い。
話の逸脱は今後も頻発するだろう
どうかお許し願いたい
とにかく、私がnoteを始めたのは
「私」を発信するため
「今の私」を遺すため
いったんはこう答えておこう。
きっと、思わず読んでしまう文章を書くだろう
見てしまえば、何か気づきを得ることができるだろう
「こういう考えの人もいるんだな」と、知ってもらうきっかけにしてくれるだけでもかまわない
誤字脱字を探し、言葉足らずを探し、揚げ足取りに徹してくれても構わない。
どれだけのペースで、どれほど書き連ねていくか、全く定まっていないが
一度スタートした以上、私のさくせんは「ガンガンいこうぜ!」だ。
ぜひ次回以降も、読んでみてほしい。
私は、貴方に読んでほしい。
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