「最後のお楽しみ」だなんて後回しにしないで
つい、我慢してしまうことがある。
つい、”あえて選ばない”ようにしてしまうことがある。
お腹の調子が悪くて、薬を探していた時のこと。薬箱には「まあまあ効く薬」と「めっちゃ効く薬」の二種類の鎮痛剤が入っていて、私は両方を手に取りどちらを飲もうか悩んでいた。
こうなった時の答えはいつも決まっている。
私は「まあまあ効く薬」を選ぶのだ。
本当はお腹が痛くて痛くて……「めっちゃ効く薬」を今すぐにでも飲みたいのに。
つい、いや、あえて。我慢してしまう。
だって、明日もっと痛みが酷くなったら大変じゃない?今日は我慢して、明日のためによく効く薬はとっておこう。中途半端に「まあまあ効く薬」を飲んで、結局腹痛は治らないまま。起こるかも分からない「明日のために」を言い聞かせて眠りについた。
振り返ってみれば、私は先々のことばかり考えて過ごしてきたことが多い気がする。
いや、「考えて」というより「気を取られて」というニュアンスの方が近いかもしれないな。
中学生の頃、高校生になればもっと楽しくなると思っていた。
「高校生になればもっとできることが増えるはず、だから今はこのくらいでよしとしよう」
そんな感覚だったような気がする。なのに、いざ高校生になると大学生になればもっと、大学生になると社会人になればもっと楽しくなる……って、いつまで経っても先のことに気を取られて、なぜかアテにするような感覚を持って過ごしていた。
・・・
先を見据えて行動したことで過去の自分に助けられたなと感じた経験もある。先のことをを考えられるって未来に希望を持っているみたいでなんだか良さげだし、「めっちゃ効く薬まだ残しておいてよかった〜」って思ったこともある。
でも。先ばかり見ているうちに、未来ばかり追いかけていくうちに、それと引き換えみたいに「今」を大事にすることがだんだん下手くそになっていっている気がしていて。
「今は楽しくなくてもいつかは……」
「今はこれくらいでいっか、仕方ない」
今じゃなくてもその先があるから。
その先で満足すればいいやとか、その先のために我慢しようとか。
今の気持ちに蓋をする癖がついてしまったのかもしれないな。
昔から、ケーキの苺は最後の楽しみにとっておくタイプだった。
「それ最後までおいてても、今でっかい地震きたらもう食べられへんで」
大事そうに苺の周りからちまちま食べる私と、私をからかう父。幼い頃に交わした何気ない会話がなんとなくこれまでの自分とも重なる。
先のことを考えるのはとっても大事なこと。
でも、先にばかり気を取られていたら。今の、この瞬間の私の気持ちはどうなってしまうんだろう……?
誰にも拾われないまま、置いてけぼりにしてしまうのかな。
いつまでも私は「今」を味わえないまま過ごしてしまうのかな。
私はもっと、「今」を味わって、楽しみたい。
だから今この瞬間の気持ちも、もっと大事にしてみたい。
今を楽しむために、今の気持ちを大事にしてみたいなと思う。
ずっとどこかで「お利口にしていれば望んだ未来が迎えにきてくれる」って思っていたんだと思う。でも、人生は予定通りに進むことの方が少ないってここ数年で痛いほど知った。
それなら、まだ分からない想像上のこれからの自分より、今この瞬間の自分をもっと気にかけてあげてもいいんじゃない?
その方が、より楽しいんじゃないかな。
私もみんなも、どんな過ごし方を選んだとしても同じだけの24時間を過ごすのだから、せっかくなら楽しい方を選んだ方がお得だな、という感覚になる。
それに結局は、どれだけ頑張ったって想像する未来にいきなりワープすることなんてできない。
当たり前すぎてときどき忘れそうになるけど、
今を積み重ねることでしか未来には行けない。
それなら、積み重ねる過程である「今」をもっと噛み締めて、味わってあげた方がそれもそれでお得だなって思う。
今すぐ食べたい苺を、先の楽しみにと我慢してしまうのがこれまでの私。
「美味しそう!食べたい!」と思った瞬間に、躊躇なく苺を口に放り込めるような私になれれば、もっと楽しくて素敵な毎日を積み重ねていけそうな気がするね。
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