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忘却の彼方の先に

美しい景色は、人生を連れて運ぶ。
忘却の彼方にあった記憶が呼び起され、
思いがけず懐かしい自分と対面する。

小高い丘に日が沈み始める。
目の前に広がる小麦のぴんと伸びた穂先は、
深い緑の葉の上で白く輝く。
あぜ道の際に咲く白いバラがこうべを垂れる。
大きな栃の木(マロニエ)には、ピンクの愛らしい花がたわわに咲き、
風に揺られて、ひらひらと舞う。
明るく染まった地をクロウタドリが跳ね、
春の歓びを歌いあげる。
空の底はオレンジに染まり、
地平線に沈みかけた太陽の中心は燃えるように輝いていた。
太陽の光に照らし出された稜線上の木々が黒く浮き上がる。
頭上には青色の空が広がり、
視線を落とすと、
水色とオレンジが混じり合って、優しいグラデーションを生み出していた。
逆の空には、少し欠けた黄昏月が浮かぶ。

昼と夜が同居するこの永遠のような一瞬に、
あの時、見上げた君の横顔を見る。
意識が遠のき、現在と過去を行き来する。
何度も繰り返した、果たされなかった君との対話の中で、
過去の過ちを許し合う。
行く当てもなく彷徨っていた言葉がたちが、
栃の木の花びらとともに、ようやく手のひらに舞い戻ってきた。
たとえ、それが夢うつつであっても、
あの頃の傷だらけだった自分をなぐさむには十分だろう。

君は変わったかい?

日が沈み、少し冷たくなった空気に包まれながら、
丘を下る。
美しく奏でられたひと時も、
静寂の中の孤独も、
街燈に照らされ、長く伸びた影のなかに収まる。
私は、その影を抱えて、
木立のなかを、1人、一歩一歩踏みしめた。







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