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62. 空気缶

 15の時に中学校で、20歳の自分に宛てた手紙を書かされた。書かされて、先生に回収される予定だった。
 確実に5年後の自分を悶絶させ、枕に顔を埋めて足をバタつかせる未来が見えていたし、20になってから15の頃の知り合いにまた会うとも思えなかった。賢明な私は、手紙を出さずにとっておいた。案の定、当時の知り合いとは全員縁が切れ、手紙は目を覆ってもなおどうしようもない代物だった。実家の自室の隅に、恥と埃がひっそりと分厚く積もっている。梶井基次郎みたいに、こっそり爆弾を置いてきてやったんだ、と思い込むことにしている。何人たりとも、読むべからず。爆発します。

 よく「大丈夫になりたい」と言う人がいるが、そんなこと言っているうちは大丈夫になるわけねえだろうが、としばしば思っていた。
 いつの間にか大丈夫になってしまった。なんてこった。人に隠れてベソベソと泣くことがなくなり、ひたすら街中を2時間ただただ歩き続けることもなくなった。どうして「大丈夫」になったのかははっきり説明できない。説明できたとしても、もしまた大丈夫でなくなった時に立ち直るためには、きっと何の役にも立たないのだろう。

 15の時に20の自分を質問責めにしたが、あれは意味がなかった。25の今は、ただただ「大丈夫」な時の言葉を残しておきたい。〇〇の空気缶、みたいにくだらなくて少し笑える方がずっと良いはず。

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