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61. 辞めどき

 キャリアについて思い悩んでグズグズしている間に、また一人後輩が辞めていった。直下の全滅が近い。なんて職場だ。給料の割には仕事が簡単で残業もないに等しいが、なんせこき使われている感がすごい。使役関係の中にある職業はどれも変わらないかもしれないが、他人の尻を叩くスキル以外には何も身につかない上に、こちらの事情を考えない仕事の割り振り方をされる。石の上にも三年、はカスの言い分だと思っていたが、図らずも三年めに突入してしまい、若干の頼られる気持ち良さに負けそうになっている。一番辞められたら困る時に辞めてやる。

 もっと抽象的な話をすると、とことんもったいない人間になってから死のうと思ったことがある。辛い、悲しい、しんどい(体が)というような具体的な文句があるうちには、あまり死のうと思ったことはない。ああ楽しかったけど、もういいかな、と思う時と、もうたくさんですこの先はNo thank you…という時が良くない。大抵面倒くさくて思い留まるが。こういう時に、暗い話するじゃん、とやや引きながら聞き返す人と、わかるわかる〜!と明るく笑って返してくれる人とがいる。両方好き。死のうと思ったことがあまりない人の明るさも、死のうと思ったことがあっても他人と笑いあえる人の明るさも、なかなか得難いものである。

 ただ、もっとカジュアルに辞めどきの話ができたら、と思うことがある。
 気づいたらついていたテレビ番組を(それもずっと楽しいわけではない番組を)ずっと見続ける理由はない。各々でその理由をこじつけるしかない。せっかくだから、とか次の面白いシーンまで待とう、とか。周りが悲しむ、ということに関しては考えなくたっていい、と正直思っている。親しい人がいなくなれば自分も悲しくてたまらないだろうが、その人にとってはもう何も関係ない。病気で生きられない人の話を聞いて流す涙も、自分の人生には干渉し得ない。アフリカの飢えた子供たちを見ても、残念ながら玉ねぎはこれっぽちも美味しくならない。
 人生が楽しかろうと楽しくなかろうと、私にはさほど関係なかった。楽しい時はしみじみと噛み締め、楽しくない時はボンヤリ過ごしてきた。世の中は良くも悪くも変わらないし、人の美しさも醜さも変わらない。周りか、もしくは自分の本質的な部分を、あるいはその両方を受け入れられなくなったら辞めるのみである。これが「根暗」で悲観的だとは全く思わない。どちらかというと、こういった話に軽く共感を示せる人の愉快さと優しさを愛してしまう。

 できれば自分ではなく世の中に我慢ならない方で終わりたい。変えられるものについては、変える努力を惜しみたくない。

 7月が終わる。今朝の夢の中で、また暴言を吐いていた。相手の引きつった顔が未だに目に浮かぶ。どうしてそんな酷い文言を思いつくのだろう、と自分で思うほど、相手にとどめを刺す一言がすぐに思い浮かんでしまう。どうしてこんなこと思いつくのだろう。よこしまだからです。今月も自分の邪悪さを確認してしまった。これくらいは我慢できる。しょうがない。日々の不始末が少しずつ自分の首を絞める前に、また少し善行を積みに行く。やけに優しい時は、そういうことである。


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