「実在しない」世界 〜二元性の世界について〜

私達がいる(と思い込んでいる)

〜この世界の実在性〜

これについては科学の分野でも

仮説の検証に検証を重ねて

研究されつくされてきているようですね!

この世界は幻想である。

つまり存在しない。

ていうことは

何か別の実在するものがあるということね?

そういう風に思えた人はいませんか?

そこに希望を見出した

私みたいな方は

この先を是非!読み進めてください。

逆に、恐れが強くなったという方は

ここからの文章は不快になり

トラウマを強めるかもしれませんので

読まない方が良いかもしれません。

世界はどうやら幻想らしいと

イーロンマスクまで

そう言っているらしいですが、

果たして自分自身(つまりは肉体の個人としての自分)も幻想で、無であると思っていての発言なのでしょうか?

このステージがバーチャルリアリティのようなものだと言っているのでしょうか?

量子についてや、素粒子などについて

観測する事でどうなる?など

科学については

私ははっきり言って

難しいなぁ!と思いますし

凡人レベルかそれ以下であり

全くの無知ですが、

非科学的と言われ続けている

心霊体験は(科学でも解明されたよ!と、

いつかは言われそうですが)

高校生の時の体験で

今思えば、かなりネガティブな心理状態で

家出していた時にしましたから

恐怖を体験したいと決めて私がその設定で

ゲームをやった自作自演だとしても

それもあるよね!と証明されたと言われれば

勝ったような気にもなります(笑)

やっぱりそうか!と思います。

寝ている時に

いわゆる幽霊の動きを知覚して

布団に頭のてっぺんまでくるまって

除霊しようと思うけれど

ただただ恐怖で

幽霊が消え去るのを待つしか無く

何故か朝には幽霊は消えると思い込んでいるので

「朝の光が出るまでの辛抱だ!それまでは、幽霊の気を逆撫でしないように良い子にしていよう」

と思いましたが、あれは、

あまりにも親を馬鹿にしたら

親の堪忍袋の緒が切れて

拷問されるのではないか?追い出されるのではないか?良い子にしなくっちゃ!と

死と隣り合わせの冷や汗をかいたという

非科学的ではあれ、私の実体験です。

私の人生が上手くいかないことを

全て母親のした事や言ったことのせいにしている

時期でした。

ただの妄想だ、と片付けられるだろうと思っていたので、友人や家族を含め、ほとんど誰にもその話はしませんでしたし、

翌日、普通に高校へ行ったあと

大嫌いだった母の居る

自宅に戻りました。(幽霊の怖さよりはマシだったから(笑))

でも、今はそういうことか!と思います。

ある意味ではとても平穏で何もない毎日が淡々と過ぎてくれていた中で

私は母のある行動に対してはっきりと辞めて欲しいと言えずに

無言の批判を繰り返し

母の方が酷いから!という理由をつけて

私も母と同じ行動をとるようになりました。

私が普通に話したことに対して

突拍子もない!と母からたしなめられていましたが

いつの時代も反証がどんどん出てきていて

大きく常識を覆すと

異端と言われ

メジャーな人達(だと、世界がいうもの)から

排他されるかもしれない!

殺されるかもしれない!

ということが私は怖かったのです。

(その時は、上手く処世術で死ぬまで安泰に生きていこうと、出来るだけヒエラルキーの上の方にいようと、それこそ必死でしたので、その恐怖には向き合えていませんでした。)

世が世ならば

そういうお仲間達は

正々堂々と処刑されたり

暗殺されたり

社会的に抹消されたり(いつの時代とは言いませんが)

散々のようです。

私は

〜この世界は幻想である〜

というアイデアに

とてもとても惹かれました。

ホッとしました。

その点について全くの無知ですが、

あらゆる分野から

その情報が私のところへ入ってきました。

そして、本気で、知りたい!と思ってしまった

と求めたのです。

100%!

この世界は幻想である。という体験がしたい。

実在するものだけを体験していたい。

スピリチュアルな界隈では

神やワンネスや天国や智識などは

よく使われている真理用語ですね。

ただ、だから何なのか?ということになると

そこで止まってしまってはもったいないというのが

『奇跡講座』学習を続けてきた

今の私の所感です。

また、幻想の中とはいえ

この物理的な宇宙全体は

二元性の元に

どんな風になっているのか?

パラレルワールドについてや

時間がリニアではないことや

宇宙全体の中の地球という惑星の立ち位置や地球人とそれ以外の惑星の人達との関係性や

そのシステムをある程度

熟知して

何処に行っても二元性の世界であることは

同じであることを知り尽くし

その世界全てが幻想であるというアイデアを

包含して理解し、価値判断なく受け入れることで

逆説がはたらき

真の自己( Self・God is )を受け入れていくことに向かわせ

自我の思考(self-image)を超えていくことに向かわせていくのでしょう。

宇宙全体も含めて教材であり

この世界を赦しの実践研修セミナーそのものであり

教室と捉えることになる

理解と実践を助けるな!と思うのです。

科学者

哲学者

宗教学者

経営者

専門職の現場で働く人

様々なバックグラウンドを持つ子ども達

リタイヤした後にまた事業をスタートする人達

様々な「こうあるべき」という常識を疑い

自分の思い込みを疑い

その世界で

目の前で起こっていることや

世界的に起こっていることを疑い

真実だけを知りたいとして

本質を見極めようとして突き詰めて

最善にしていこうとすると

必ずや

目に見えないSomething Great の存在を

確信し

神というものに行き着きます。

全てを持っている状態となり

「感謝、感謝」となっていきます。

本当にそれぞれどんなバックグラウンドであろうと

真に強く求めるのなら

神の教師

奇跡を起こすもの

には

全ての人がなれるな!という希望の光です。

目の前の興味のあることを通して

真実を知ろうという、少しの意欲は

何かをきっかけにして

(往々にしてそれは

個人としては耐えられない程の喪失感や罪悪感を伴う辛いと知覚する体験のおかげであったり

心理的な苦痛を知覚する体験をしたおかげであったり

この世界の中に地獄絵図だと思うような出来事を見たおかげであることがほとんどなのではないでしょうか)

その後に

少しの小休止を経て

「真実が知りたい」

「この欠乏感の正体を知り、真に癒されたい」

「真の幸せというものがあるのなら

体験したい」

ニルバーナを求める貪欲さ

いつかはそこに辿り着くというのは

私は当然のことだと思っています。

晩年に気づく方が多いようでしたが

少なくとも、今現在

幸せの実感が薄い若い人達が多い日本において

自分の人生だと思っている幻想(夢)を何のために使うのか?

その目的が何であるのか?について

目的を180度変える人達が

若い人達にも増えているな!と実感しています。

偉大なる成功をした人がいたとして

そもそも真理の探究にのめり込んでいくことになったきっかけが、

寝食を忘れるような飽くなき追求だけだったわけではなく

労働意欲の欠如や

その分野で地位や名誉が欲しい!

賞が欲しい!認められたい!などの

承認欲求が満たされたとして

全く幸せを実感出来ないことを

悟ったからであったとしても

全く構わないと思います。

(強欲だ!と、咎めることをするのなら、それは

こちら側の投影での見方でしょう。

我が子の金メダルをリビングに所狭しと並べている赦しの実践相手になってくれている方がいて、今でもよく私個人の自我を投影して動揺してしまっています(笑)そろそろ赦しの実践のタイミングですよね)

自分のかなり色の着いた色眼鏡(思い込み)

を通して

人や出来事を見ている。

これこそが、幻想にパワーを与え、幻想に実在性を与えることになるのなら

そのベールを取り去り

ありのままに

出来事を価値判断なく

見れるようになりたいと

私は強く望みます。

真理の否定を否定したいと

ここ最近、湧き上がる怒りや恐れ、落ち着かなさや不安に怯える時こそ、本当に思います。  

肉体の安全を脅かされていると思うような

不安感や自信の喪失感を感じている時、

そんな時こそ

学びが深まっているなと思います。

最近

否認の香りをぷんぷんさせていた私に対して

レッスン仲間の方々の素晴らしいフィードバックを頂き

ある『奇跡講座』の導き手の1人の方から

「一人で悩まないでください」と

聖霊の愛の表現を聞きました。

(導き手が誰か知りたい方はDMしてくださったら喜んで教えます)

その瞬間、神の国の優しさが

私の心にタッチングして

真の癒しが起こったサインとして

涙が止まらず

「神のところに還りたい」と

心の奥から求めていました。

真理に到達するには

真理の否定であるこの二元性の世界が言う

法則(混沌の法則、どちらか一方だけの法則、束縛の法則)を、

咎めずに、裁かずに、でも、「否!」と

きっぱり、はっきり、自分自身に対して

否定すること!

そして、

『奇跡講座』のいう[魔術](自分の外側にあるものに対する偶像崇拝=自分の外側にある世界にあるものの何かが、自分の心までをも真に癒すことが出来るという間違った信念)を使って気晴らしをしながらでいいので

ボチボチ、赦しの実践を続けていくこと!

この一点集中であることを

最近、つくづく思うのです。

そうしていくうちに

「神のところに還りたい」と

つくづく思うようになることが

増えていくのでしょう。

紆余曲折しながら

自分の真理を求める想いが深まるほどに

同じような思いの先達やガイドや

仲間にどんどんと出会える事になるのは

間違いないと

私はここ7年半の

私自身は紆余曲折してきた『奇跡講座』の経験から

【確信】しています。

皆さんには、もう、その間違った実践の時間はショートカットして頂けるように

無益な旅が無くなるように

と思ってこのブログを書いている私です。




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