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ただの「キャラクター設定」されど特別な「キャラクター設定」〜あなたの[健全な自我]は何を獲得したいと渇望しているのか〜

『奇跡講座』学習者のSakieです。

今回の記事では、

個人の私というキャラクターが

「健全」であるということについて、

考察していこうと思う。

「自分は弱い」という自己イメージをお持ちの方はいらっしゃるだろうか?

『奇跡講座』は、公に出版された本であり

誰でも購入できるものであり

万人に学ばれる可能性があるものであることは

周知の事実なのだが、、、

『奇跡講座』を学ぶ前に、つまり、実践する前に、

その前に、個人の人生において

「健全な自我を育ててから来なさい」と冗談混じりに

でも、ある意味では真剣に、意味深な含蓄を持ってして言った

下記の質問へのケンの答えの真意を考察しようと思います。


参考 JACIMホームページより

https://jacim.com/acim/?p=4979

【質問】No.71 (org.#1279, #454 )

健全な自我を育てることの大切さに関する2つのQ&A

【質問・その1】
以前のQ&Aによれば、子供たちは『奇跡講座』の原理を学ぶ前に、強くて健全な自我を発達させなくてはならない、とのことですが、私は22歳になるにもかかわらず、自分が非常に弱いと感じています。どうすれば強くなれるのでしょうか?


[分離の想念]=自我の思考体系として

「無意識のうちに」〇〇してしまっていた、、、

ということは、私たちの生活の中において

普通に話されている会話だと思います。

ある意味では

遺伝子レベルで組み込まれている自我の思考体系による弱肉強食のプログラミング通りに、欲求に従って、偽善者ぶらずに、「権威」「権力」を得ようと我武者羅になって自我の思考体系に沿って行動していくことで

「自分がもつすべての価値観を疑問視することを求めてくる思考体系(T-24. in.2:1) に取り組むための準備」

が整うというのは、真実だと私は経験としても思います。

お恥ずかしながら、若年期の私は「私、最強説」「私、超怖いものなし説」を唱えていたほどです。

世間知らずの無知な日本人JK(女子高生)こそ、常識に囚われず、最強だ!説のようなものにも通じるものです。

ですが、これは、ある意味、放置しておけば、恐ろしい事態になる前兆ともいえます。

「私は特別である」「私は特別でありたい」「他者とは違っていたい」というメッセージとイコールだとも言えます。

「もっと[特別でありたい]」

もっと!もっと!もっと!と、中毒になれば、

病理が表面化していきます。

統合失調症の狂気の沙汰となります。

あまりの狂気の沙汰の自分自身の考えや行動に対して

「私、なんか、おかしいんじゃないか?」と

正気の自分が狂気の自分を客観的に眺めていく段階において

その症状が、その人にとって今一番最善の、一般的なセラピーなどで、「気晴らし」となり、小康状態となり、少し落ち着いた頃に、(真の癒しが起こったわけではないので、敢えて区別するために書いていますが、プロセスにおいて必要であり、全く馬鹿にしたり、咎めたりするものではありませんし、私も経験してきたことです)その先の[真の癒し]を「無意識のうちに」求めている=受け入れる準備が出来た方が『奇跡講座』に出会うこと、興味を持つことが多いようにも思います。

私は、自分自身の(最強な(笑))攻撃性が「無意識のうちに」ではなくなる瞬間を経験し、怖くなって、「誰か私の攻撃的な狂気を止めて!」と、精神科に行ったことがあります。

「相談できる人は身近にいますか?」と、精神科医に言われました。「そうか、身近な人や先達に相談するということを、私は知らなかった、、、」ということをその時に初めて知りました。(内服や何かしらの他の助言などはなく、「夫に相談してみます、、、」と、当時の夫に一連の事を相談してみることにしました。親身になってくれる他者に悩み事を包み隠さず話す内に、自分自身の感情、知覚をぴったりの言葉で表現していくうちに、心が整理されていく事を知るに至りました。

(この経験が、今の私が「身近にいる人の積極的な相談相手でありたい」と思うに至る、万人のカウンセラーであることにしようと決めた経緯なのですが、その話は今回は脱線となり、また、長くなるので、またいつか機会があれば、書こうと思います)

本題に戻ると、この世界は[神への攻撃]として、[神を殺害したい]という[神と分離していたい][神とは違っていたい]想念で作られた(でっち上げられた)全てが代替品の二流品、紛い物だけで「不完全欠乏状態、混沌状態、束縛状態」がデフォルトとして作られている世界だと教えている『奇跡講座』の理論を、私たちの日常生活に照らし合わせて、本気で統合させていこうとするならば、つまり、実践していくならば、

ある種、正当な、当然な、とも言える「怒り」「抵抗」「恐れ」が掻き立てられてくると思います。

『奇跡講座』がまずは知的に正しく学ばれて理解されて実践されていっている証拠であるとも言えます。

ですが、その前提、つまり、準備段階として

[健全な自我を育てておく]ことが必須だな、と思うのです。

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