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奈落の底まで深海に潜る

「私は貝になりたい」という映画の

ダイジェスト版を観て

過去にリメイク版公開時

映画館で1人でこの映画を観た時に

悲劇的結末とラストシーンの主人公の

無表情の顔と

映画全体を貫く重暗い空気感に

2度と観たくない映画だと思っていたことを

思い出した。

ただし

爽快感のカケラもない不条理そのものの結末に

「二元の分離した世界」そのもの

その事実を何の美化もせず

描けているな、と今は感心している。

この映画は、何を描き、何を伝えたかったのか?

戦いからは何も生まれないというメッセージか?

戦争の不毛さ?

しばらく 考察していた。

内容として

戦時中の日本で

戦争やるぞー!と国がいうからには

絶対服従で

そこには有無を言わさない

赤紙が来たなら絶対に行かなくてはいけない

行かなければ村八分で精神的に経済的に困窮する

天皇の言うことは絶対服従しなければならない

という勅使という概念があり

泣く泣く戦争に借り出された

一般人男性達、、、(戦争上等!と

泣く泣くではない人も

もちろんいたでしょう)

ここでは、土佐は高知の床屋の主人が

アメリカ兵の捕虜を殺害した実行犯として

戦犯として逮捕されて

死刑になるまでの物語である。

その主人公である日本の二等兵の考え方と

アメリカ側の裁判官の考え方の

堂々巡り、、、

二等兵は

「自分自身が望んで殺したわけではなく

命令されたから殺(や)った。

命令をきかなければ

その時に自分自身が

上官から、殺(や)られていた」

ということを伝えたいのだが

「なぜ、自分の意思でないのなら

断らなかったのか?

天皇からの文書での正式な命令だったの?」

と、言ってくるアメリカ側の裁判官。

死刑判決が出てから

二等兵の妻は必死に

死刑判決の撤回を訴えて活動するが

結局は、死刑となる。

もし、生まれ変わらないといけないのならば

来世は

「貝になりたい」という

二等兵からの手紙で締め括られる。

その手紙の内容はここに記すのは

控えておくので、

もしもご興味があれば、観ていただきたい。

(私が過去に全てを映画館で観たのは

リバイバル版の元SMAP 中居正宏主演のもの)

「貝に心がある」という前提でいうなら

不条理に、たまたま無作為に

漁師や潮干狩りに嬉々として現れた

人間の口に入る=死刑だと思うのだが、

どうだろうか?

この二元の苦しみの世界から

解脱することを真に望む目的で観るならば

恰好の映画だと思う。

自我の思考体系で考えていること、思っていることを直視するとは

闇夜の怖さ・奈落の底の恐ろしさ・深海底のどす黒さ・グロテスクなまでの生々しさを直視すること

恐れていたものは

そうでもなかったろくでもないものだったと

そこは 「真空」で 何もなかった

nothing であった

自我を深刻に捉えなければ

小意地悪な魔女程度のものだったと

認識することが、できる。

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