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私が発達障害(ADHD/ASD)と診断されたのは

約2年前のことだ。

仕事は転々として、次々と二次障害が悪化していった。

慢性疲労、低血圧、微熱、反復過眠。

生活の中で困りごとは数え切れない。

けれど、さんざん考え込んたら

欠点なんて指さされることは

私にしかない個性、お茶目ってこと。

夜に紅茶をのむときは大体そんな風に考えている。

最近、出会って大好きになった言葉2つを記録しておく。

不安と不運と不幸の中でも、踊り続けるのが人生である。

特別なものに出会うためにはまず、お友達や流行りものと群れていては決して見つからない。だからこそ「孤独であれ」。ただし、「私はここにいる」と叫び続けろ。

ブラック企業で働いていた10代の休日は

本屋へ行くことに費やしていた。

困ったら本屋に行け。

いつの日だったか.. そんなことばを見かけて

心が海の底へ沈んでいるとき

自由に泳げるようになるまで、自分にぴったりの言葉を探す。

お布団から出る元気もないときは

すてきな言葉探しの旅に出ればいい。

少し元気がでたら自分の為の料理を作る。

日が暮れて、運動しそこねたら夜の散歩に出て小さな発見を大切にする。

好きなコーヒー屋さんへ出かける。

小さな絵を描く。

フィルムが余ったままのカメラを引っ張り出して

ひたすら川辺でシャッターを切る。

私は孤独と自由が大好きで、よく海の底で冬眠をする。

その間、離れていく友達もいるけれど

去るものを追いかけようと思ったことはない。


私の生活には特別なものなんて、ひとつもない。

高い服を着て着飾りたいと思うこともない。

わたしは自分のことを世界で一人だけの特別な人間だと思う。(誰だってそうよ。)

大袈裟な言い方になってしまったけれど

どんなに出来損ないだと叱られる日があっても

私は素敵なひとだわ、と自分だけは味方で褒め称えてあげたい。


転職活動をしている今、おもうことは

なんて、自分にできないことが多いのだろうか。

初めからそうであれば、へこたれなかったのに。

そこに躓ける石でもあるならば、転んでしまいたいのに…

心底そう思う。

けれども、出来ることが減っていって

何かを失っていくことは私をとてもよく鍛えてくれたと考える。

いつも人の十倍遠回り。

どうせ遠回りするなら、知らなかった景色を見つけながら生きていきたいのよ。

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