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タトゥーをした話

先日、タトゥーを入れてきた。
絵柄は、黒猫を抱いている女の子。

もともと二十歳になった時に入れたいと思っていたが
それから2年経って、やっと好きなアーティストさんが描いた
好きな絵柄が見つかってすぐに予定を入れてタトゥーに行った。

もともと、母と姉が刺青をしていて
自分の星座の絵柄を入れている。
私も自分の星座を入れようかと思っていたが
なかなかいい絵柄が見つからず。

普通に山羊座を入れるだけでもいいかもしれないが
もっと凝ったデザインがいいな、と思っているからまだ保留。
多分それは、次の刺青になる。

刺青を入れている最中は まあ皆がよく言う、
「赤アリに嚙まれている感じ」だが
黒猫の部分はさすがにちょっと痛かった。
まあでも、耐えられないほどの痛みではなかった。

人生初タトゥーとしてはかなり大きめのサイズにした。
悔いはない。
黒猫は今の子が大好きだから入れたし
これから長生きしてもらって その後も絶対また黒猫にする。
女の子の絵柄はショートヘアだけど顔の描かれ方が好きで
半分善 半分悪
半分生 半分死
とも捉えられるが 何にしろ
両面とも受け入れて生きていたいから。


刺青は何か怖いものだと思われがちだが
私はセンチメンタルなものでもあると思う

なんていうか
自分の一部である何かを曝け出したい気持ちだったり
痛みに対しての忍耐力だったり
傷みを受け入れる覚悟だったり

言語化すると何か偉大なものにさえ聞こえてしまうが
別にそういうことを言いたかったわけではない

人間って痛みに依存するって話、聞いたことある?
そういう話がしたいんだ。

私の人生は比較的傷みが少なく
物事が順調に、というわけではないが
自分の家族とだけ比べてみても
そんなに紆余曲折してこなかったと思う

私の傷みはいつだって自分の内側から来ていて
英語では I create my own hell. と言う。
外からの刺激はもちろんあってからの傷みだと思うけど
それを余計に苦しくさせているのは他でもない自分だ。

痛みに依存するという話に戻ろう。

辛いものって、好き?
辛いものって、舌はヒリヒリするし唇は痺れるし汗もいっぱいかく
それなのに、なぜ食べ続けるのか

人は痛みを感じた時に脳の中で化学反応が起きるんだけど
痛みを越えた先は、ハッピーホルモンと言われるオキシトシンが出る
そのオキシトシンのおかげで脳は過剰にハッピーに感じるらしい
そしてその過剰な気持ちを感じたいと思う故に
またその痛みを経験しようと脳が学習する

というようなことらしい。

刺青を入れたとき
そこまでの痛みではなかったけれど
痛いのは確かだった。
それを2時間半くらい我慢し続けてからの
あの美しい作品の完成だ。
幸せなわけだ。

私の人生はまだ短いけれど
傷みをそれほど経験していないおかげで
周りの親しい人達の傷みを聞くとどうしても共感ができない
理解はするけれど、それは共感とは程遠い

これまでもこれからも、そういう経験を踏み台にして生きていくだろう

ありがたくも、切なくもなる
むなしい と感じることもある

今は、それが私の人生であり感謝して生きているつもりだが
痛みを経験して人は強くなる というように
私は強くなっているのだろうか。

… 分からない。


これからも私は刺青を入れていくだろう
自分が大事にしているものを身体に刻み込んでいくのだろう。

それが良いとも悪いとも言わない。
ただ、それが私の決断であり
自分自身を持っていることだと思っている。


左腿に入れた人生で最初の刺青

最後まで読んでくれてありがとう
それではまた、次の日記で。

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