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愚か者の自分へ

履歴書を書いている時、冷静に自分に対して驚いた。

"年齢  35歳"・・・

そうだ、私はもう35歳。
振り返ると私はあまりにも"何もせずに"生きてきてしまった。
昔見た古谷実の漫画の主人公のような30代・独身・フリーター・孤独と言うキーワード。
「こんなタイプの人もいるのかー」とあっけらかんと思っていたあの頃。まさか自分がその登場人物のようになるとは。

何かになれるだろうと思っていた。だけど、通り過ぎていく人を目で追いながらただ立ってきただけだった。
雑誌や新聞で取り上げられる知人、恋愛に悩んでいた同志だったのに、いつの間にか結婚していった友人。
その一瞬胸が痛むけれど、しばらくするとそんな痛みすら忘れていってしまう。
「(私もいつか、大丈夫)」身体の中の手のひらにのってしまいそうなくらい小さな何かがずっとそう思っていた。


仕事が上手くいったと思えたことも一度もなかった。
ごちゃごちゃの職歴は自分でもよくわからなくなってきてしまった。
朝の光の中で仕事へ向かい、帰る頃にはタイムスリップしたかのように真っ暗になっている世界すらすごく嫌だった。
とにかく自分の心が腐って死んでしまわないように距離を置きながら上手くやるしかなかった。
そんな働き方じゃ裕福な生活なんてできるわけがない。
楽しく仕事ができるってどれだけ前世で徳を積んだのだろうか。
人生は働くためにあるのか、楽しく生きるために働くのか。
ろくな経験がないまま過ぎてしまった人生では、仕事の選択肢ですら狭くなってゆく。


正直に生きることができない。
好きな物は「好き」とあれほど伝えられるのに、好きな人には「好き」と、たった二文字が言えない。
幼少期、友人と同じ人を密かに好きだった時。友人から「私、両思いだった」と言われた話に笑顔で話し続けるしかなかった。
"好き"の言葉の重みは想像以上に大きすぎる。
仲良くなれそうだった人とは全て"何かが違って"踏み込む寸前で交わることができなかった。
タイミング、環境、すれ違い、気付けなかった言葉や仕草。好きな人からは好かれることのない人生。
認められなかった想いは時間が経てば忘れてしまうのか。鈍くなって蓋をして、忘れたフリをしているのか。
玉のようにピカピカだった精神も手垢や傷が付けば曇って見えなくなっていく。
傷つかない恋愛なんて宇宙の果てを想像する時くらい現実感がない。

「笑顔がいいね」と言われても、それはあくまでアーサー・フレックと同じ笑顔。
笑っていればあらゆるものが少しはマシになるからだ。
傷つくのが怖すぎて誰にも会わずにいたら気軽に遊べる友達もいなくなった。
幸い趣味があったものの、全部一人で楽しんでいるのでその共有をできる相手もいない。


世の中には怖いものが多すぎて、怖い思いをするなら何もせず過ごそうと思い生活を続けていったツケがこれだった。



でも最近、とても素直な青年がメディアの世界に現れて自分は衝撃を覚えた。
人と違う人生、人と違う感性、気難しい自分の性格、そういった自分だったら隠してしまいたいものをその人はいつも全力でぶつけてくる。
そう言う純粋なエネルギーは強い。100で投げたものは100で受け取ることになる。
なんて素直な人なんだろう。誰かや社会に汚れていない。そのままの人。衝撃だった。それもありなのかと。
私とその人は年齢も性別もなにもかもが違うけれど、私も彼のようにありたいと思った。

だからまず、立ち止まるのはやめてみよう。自分のダメなところを隠すのもやめてみよう。
冴えない人間かもしれない。人並みなんて言葉は似合うわけもないけれど。
でも自分の感性は宝だ。今まで自分が愛してきたものの素晴らしさ。それだけはずっと宝だと信じている。

そして何かを綴ってみようと思った。
2020年。

今まであったこと、愛してるもの、これから起こること。誰かに逢いに行ってみよう。勇気を出して。
最近はフィクションよりも現実世界のほうが厳しいことが多いかもしれないけれど・・・

「(きっと、大丈夫)」と身体の中の小さな何かがそう思っている。

怖いものはいっぱいあるけど、退屈な人生なんてのも嫌だもんな。



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