【永久保存感想文】「お前、何様?」♡兄った青春は死にたいになって還ってくるのか
はじめに
この何様シランのnoteは読み手のことも社会のことも何も考えない又それらの為を思って書くことは一切考えていない何様シランの為の何様的なエッセイ、詩、日記、脳内再生等の駄文を保存しておく場所だ。イコールここにあるものもまた、すべてが何様シランの作品・生産物と同じである、何故なら私は自分の人生をコンテンツだと思って生きているからである。
今回、当記事は所謂レポートの様な側面も含むものになる。なので他の記事とは一味違って色んな意味で第三者の含みがある文章が出てくるかもしれない。
しかし、全ての文章は普段作品をつくっている時のように、滞ることのないドバドバの脳内から司令が伝った手を止めずに入力されていることは確かです。(意味段落内最重要事項)
そんなニュアンス的なことを伝えたい、伝えておくべきだと思ったので前書きとして書いておく。
永久保存感想文
何様シランの人生で初めての個展「お前、何様?」♡兄った青春は死にたいになって還ってくるのか
が終わった。2022年6/17・18・19金土日の3日間だった。
この個展に関して遺すべき全て、そして感想を記録する。
#注#
膨大に長くなる。先に後ろの段落を書こうとかそういう事はしない、いつだって次の言葉のことしか考えられない、なので今の段階ではこの後どんくらい長くなるかなんて見えてない。
だけど、本当に長くなる。この永久保存感想文は個展に来られなかった方にもどんな感じだったのか想像して貰えたら嬉しい、という思いもあって書いてる。
だけど、何もかも虱潰しに保存したい私なので要らないコンテンツもあると思う。見たい所だけ見て。しかし綺麗なレイアウトされた記事は作れないのでジャンプはお任せします、
記録1 御愛拶 -なぜ実家で個展を開催するのか-
会場のドアを開けて振り返った所に何様シランのアイコンの原画と、御愛拶を設置した。その文章はこの個展を開催するにあたってかなり重要なステートメントだった為、遺しておく。
※入口の左側に御愛拶を置いたのに対し、右側には「3年ぶりの地元」の記事を全文展示した。(下記リンク)
記録2 個展の中身
初めての個展で企画し、実際に行ったものたちとその詳細な記録
・今までに作った作品ほぼ全点の展示
(展示作品数94点)
作品は全て東京で作っているため、個展に向けて全ての作品を梱包し、配送した。損傷が激しい数点は東京に残した。しかし、大学1年の頃に作った布の作品のみ存在丸ごと忘れていたことに終わってから気づいた。
・おふとんの上でライブペイント&YouTube生配信
後に詳しく記録するが、布団の上でシーツにライブペイントをしてその様子を生配信した。下記リンクはアーカイブが見れる
・金のなる木 再展示
後に詳しく記録するが、大学での落合陽一先生のメディアアート特別講義にて制作人生としては処女作そしてMVPを頂いた「金のなる木」を生の木を使って再展示した。
・東京の可愛い服フリーマーケット
何様の古着をラックや棚に並べてフリマした。旭川ではあまり出会わないような可愛い服多めで。
・キッチントロイカのベーグルと焼き菓子販売
札幌のカフェ キッチントロイカから大人気のベーグルや焼き菓子が届きました 下記リンクはキッチントロイカのサイト
・何様シランの世界観をイメージした可愛いお菓子の販売
マカロンやカップケーキなど、見た目も味も最高なお菓子が並びました
記録3 おふとんの上でライブペイント 経過記録と何を考えて描いていたのか。"♡兄った青春は死にたいになって還ってくるのか"の答え。
まず、おふとんの上でライブペイント。何故こうなったのか
個展では、ライブペイントはやりたいなという考えが元々あった。
そして当初は、青空ライブペイントを考えていた。外で描こうとしてたのだ。やるなら、ハニーサックルの前とか小石が敷き詰められているスペースか、、、とりあえず、空の下で描くのめちゃいいやんって思ってた。何に描くかは、でっかくて身長くらいあるキャンバスかなあ。そーやって考えてた。そんでキャンバス用意しなきゃーと値段見るとまあまあ高い、でもまあその方向でいくか〜と当初はそんな予定だった。
そして会期が近づいた頃になったがそれまでライペの用意は一切していなかった。でも別にキャンバス用意してないやべえともなってなかった。単に、本当に何も考えてなかったのだ。
しかし、一大イベントなのでどうするかしっかり考えなきゃならない。のだけど、「あー、布団敷いてその上に居ながら描きたいな〜」て思った。だから、布団の上でライペすることにした。「キャンバスは〜、シーツがいいな!」私はシーツが大好きだ。冷たくてすりすりしたら気持ちいいやつ。その子に描きたい。すぐ決まった。経緯はこんな感じ。
狙っては無いのだけど、辿るとルーツに繋がる。
こういうことが、結構ある。今回もそれだった。
私は布団が大好きだ。生活の殆どは布団の上で過ごす。ご飯も勉強も制作も化粧も。それが素だし、自分に合ってて居心地がいい。制作も布団の上で行うから、キラキラがついたり絵の具がシーツにつくことも勿論ある。可愛くなったからいいや、て思って別に気にしない。そんでシーツすりすりする。
そんでライブペイント。描いてる(つくってる)所を見てもらうパフォーマンスだ。私は何度も言っててくどいが自分の人生をコンテンツにしている。なら、ありのままの素、本当に普段の制作風景を見てもらいたい。かっこつけたくない。布団の上なら落ち着いて普段の素でつくれる。最高じゃんー
てな感じで、おふとんの上でライブペイントもぱっと思いついたアイディアだが辿ればルーツに繋がっていた。
今回登場した布団は実家にあったもうどうなってもいいよって布団。枕と昔ながらのピンクのタオルケットも用意してもらった。
頑丈に白壁を養生し、シーツを壁に設営し、布団も設置。そこに東京から送ってきたありとあらゆる画材セットをばらまいた。私はなんでもありなので、リボンやフリル、生首もばらまいた。
ライブペイントは会期3日間のうち、全日13時-16時の3時間で行った。なので、完成までの制作時間は9時間。
YouTubeでその様子を生配信した。この為に、(初めてYouTubeのアカウントを作った…配信が実現出来て良かった〜mgありがとう)
1日目
まっさらからスタートした。制作は全般においてそうなのだが、私は何を作ろうとかは考えてない。瞬間に思ったこと、こうしたい、多いのは、これやりてえなーやっちゃいたいなーという気持ち、それらの言いなりになり、手を動かす。その繰り返しで作品を作っている。
今回ももちろんそうだった。詳しくはアーカイブを見返さないとわからないが、今どうしたい気分かなあ〜とシーツを眺めてたと思う。
最初はとりあえずジェッソをばーーっと塗ってった。乾くの待つとか無理な性格なので、その後即1番好きなピンクをのせる。そんで、初手ブラックものせた。これヤバいんだろうな〜取り返しつかんこともありえるな〜wまあ絵のこと詳しくないしそれ以上に黒いっちゃいたかったから仕方ないやろ、そう思ってのせまくった。
その後は色んな色をぺたぺたのせる。ライペ、初段階はおおまかに"今回の色"を決めていく流れが多い、まあみんなそうか。?しらんけど
でも黙って作ってると、脳内再生がうるさくて。しかも見られてるしね。初個展だしね。思うことありすぎて脳内がうるさかったんよね。だから、マッキーで脳内再生シーツに書き殴った。所々にある小さい黒文字は、脳内再生。
初日で書いたワードは「初体験」「リプレイ可 よかった」「全然否定していく」「再建できてますか」など。
何様の名刺の試し刷りverは荷物にたまたま入ってたんだけど、これも素材として利用してシーツにばんばん貼ってった。素材としてめちゃ利用価値高いことにこの時気づく。
でっかいバッテンはモデリングペーストで描いた。なので、盛り上がって立体的になっている。何故バツなのかというと、初日で描いたもの作ったもの全てを派手に取り返しつかないくらいに、否定してみたくなった。それだけ。こんなにデカくバツを描いちゃって明日からどう作ればいいのか、絶対困ることを確信していた。それをわざとやりたくて、やった。それだけ。
2日目
昨日の蛮行からのリスタート。まずこのバッテンをどう処理するか、、、とにかく目立つ色で塗ってあげたかった。会期直前に私は絵の具を少し旭川で調達したのだが、そこで選んだ蛍光イエローを抜擢。そんで延長コードを追加し、私の相棒的存在グルーガンをブンブン振り回せるように2日目で設備を改良した。そのグルーガンを使いバッテンに可愛くフリルを足したりしてデコった。
あと百均の袋詰めの場所から貰ってきた新聞紙がとても重宝した。アーカイブを見ると新聞を読んでる後ろ姿が結構あると思う。それは新聞を一通り眺めて、ピンと来た単語をちぎって作品に貼ってる動作で、後に結構な数の新聞切り抜きがシーツに貼られることになる。
途中で新聞一面の広告を見つけ、そこに印刷されていた巨大な人差し指はバッテンのど真ん中にド派手に貼られてしまった。人差し指が主役に見えかねないので、これも取り返しがつかなくなるかもしれないとちょっと思ってたが、やりたかったのでやってしまった。
その人差し指からは何様の1番好きなピンクの絵の具が垂れている。
そして、業火。2日目描き進めている途中で、急に炎が描きたくなった。炎なんて、今まで描こうと思って描いたことは全くなかった。モチーフとして使ったことも本当に無かった。だけど、描きたくなった。描いた。描いている時、とても楽しかった。
描き進めながら、1日目はバッテンで全てを否定して、2日目の今は、今まで描いたものを、既にこの作品にのせられてしまった私の思いを、業火で燃やしているんだなと気付いた。そう気付くと更に炎は勢いを増した。
2日目が終わった時には「ああ、素晴らしい地獄絵図ができた、最高だ」と思った。
これが火に見えてない人もいるかもしれないし解釈は自由にして欲しいけれど、これは何って聞かれたら、間違いなく業火なんです。
何故業火なのか。別に仏教に詳しくはないが、この炎はどんな炎かと例える時は、「業火」しか思い浮かばない。生きるって地獄みたいにもがき苦しんだり足掻いたり、決して綺麗な事じゃないと思うから。私の中では、生きてる今が、こんなイメージ。死後の事は知らんしね。まさに、「生」を強烈に描けたと2日目が終わって思った。自分の生き様がイメージとして視れてしまった。だから、どこかでとてもスッキリした。このイメージが描けたのは、本当に有難いことだった。
ちなみに2日目追加されたワード「光ってても還ったら泥に浸かる」「形式 教育 ナンセンス」「寒い夏」「全部遊んでるだけ 頑張るが存在しない世界線」
3日目
最終日やー!昨日で結構いい感じに仕上がったのでここから完成に向けて最高にするぞおーと意気込んでスタート。
とりあえずもっと蛍光蛍光したかったので蛍光グリーンを両端にぶち込む。蛍光大好き
そしてZAWA WORKSさんとのコラボ作品「♀ミ超解剖」で生成された裏垢ツイートレシート(クレカなのでピンク紙)を布団の上に置いていたので、それを素材として使おうと思いつき、手に取る。ぐしゃぐしゃにしてひたすら貼りまくる。ビジュアルも内臓みたいで良いし、よく見たら文字がびっしり書いてある。素材として最高だった。ということで、うねうねした肌色っぽいやつはレシートです。
そんで蛍光イエローのでっかいバッテンにマジックで模様描いて可愛くした。蛇みたいだ、マジックペンが大好き。どんな色にも勝つから。
あと所々スパンコールの連なった糸?がうねうねしてぶらさがってるのがある。それはペンで女の子を描いた上にスパンコールのキラキラなロープで首吊りさせてるよ。
最終日に増えたワードは確か「超寛解」「無意識でも本気あれ無意識下でも本気だから何って訳じゃないけどあたしは本気」「かっこつきたくない」「陽に呑み込まれてアイデンティティ自衛できなくなるのを憂うけどいつだって最期はあたしの優勝」
ライブペイントは16時に終わる。もうそろそろ終わりが近づいてきた15:30頃、完成に向けてそろそろ、という段階に入る。
ここらへんで、でっかく文字を書いてやりたいという考えが浮かんでくる。ド派手に。もうそれをタイトルにしていいから、とにかくばーんって書きたい。ああ、「超生きる」。これしかない。だって生き様なんだもの、
白い絵の具をでかいハケに均して、迷わず書き出す。
超生きる。
周りに蛍光イエローを添えて光を与える。
一発描きだけど堂々とした超生きるが書けた。
背中越しに後ろで見守ってくれているであろう人達の啜り泣く声が聴こえてきてた。私も涙目だった。でも一度涙落としてしまうと止まらなくなっちゃうので堪えた。
超生きるを書き終わって、残りの時間で業火の中に賽の河原をつくっていた。スパンコールの糸で小石を積み上げた。死に物狂いでつくり、今超生きていると感じた。
超生きるの隙間に、死に物狂いの気持ちをぶつけて文字を書いた。
「業火に焼かれても黒い部分晒しても震えて眠っても賽の河原にずっと居ても絶対死なない」
声を出したかった。叫びながら書きたかった。けど人間なので見てる人達の目を気にして無言で壁に書き殴った。
15時55分頃。もう終了寸前、個展のタイトルと名前と日時を右上に刻む。
完成。
完成しましたと挨拶、会場は涙してくれている人達がいて、とても嬉しかった。YouTube配信も、見守ってくれた方々ありがとうございました。
今までで1番大きなキャンバスに1人で描いた。ただの作品じゃなくてそこに出来上がったものは生き様だったので、リアルを作れて、見れて、嬉しかった。
描いてる時は大きなキャンバスを近くで見つめて描いてたし、気持ちも死に物狂いで制作してたし、その時の思いで手を動かすから、計算高い事は出来ないんだけど、個展が終わった今、この「超生きる」は個展のタイトル"「お前、何様?」♡兄った青春は死にたいになって還ってくるのか"に対してのアンサーに自然になっていると気付いた。
私の青春は死にたいになって還ってくることばかり、表面的には死にたいで埋め尽くされている。だけど、根底は超生きている。以上。
記録4 金のなる木再展示
金のなる木ってなんやねん
そう思う人が多かったと思う
なので説明
大学1年の時に私は、弊学デジタルハリウッド大学の夏の特別講義である落合陽一先生のメディアアートを受講した。講義受けて作品自分で作って展示会も受講生らで準備して開くという超ハード授業。
私は1年生で技術は何も持っておらず、でも周りはすごい先輩とか大人の方ばかりで、完全にアウェイを感じていた。(何でこの講義に受かったのかは未だに謎)
その時はもちろん何様シランじゃなかったし、作品を作ることも何もしてなかった。展示会に出たこともなかった。何もかもこの講義が初めての場だった。
そこで、何をつくるか。
「金のなる木」が昔からあればいいなと思っていた。金はいくらあっても困らないし、現実に金のなる木があってほしかった。どう森は金のなる木があるのに。いいな。
そんな気持ちで、作品「金のなる木」の企画書を発表した。したら先生にいいね!と言って貰えたので、そのまま制作に移った。
VTuberみたいに、女の子を15人キャラデザして、その子達に自分自身の声と動きをキャプチャーさせて喋らせた。内容は、お金に対する価値観とか考え方。女の子の名前もセリフも全部自分で設定した。
その映像をひたすら流す。その横に金のなる木を置く。そんな作品にした。
この作品は有難いことに、落合陽一先生にMVPとして選ばれた。
そんな経緯がある作品。
1年生でつくって、展示して、その後はもうずっと部屋のロフトに放置してた。女の子の映像も、3年間見てなかった。
でも今回再展示しよう!ということになり、3年ぶりに金のなる木の映像を見た。
恐ろしかった。1年生で、こんな刃物のような思考を持ってたなんて、、、しかも作品作ったことも展示したことも無い世間知らずだったから、周りのこと良い意味で何にも気にしてなかったんだと思う。4年生になった今、こうやって思えた。丸くなったんだね。
女の子のセリフとキャラ設定については、別の記事で書こうと思う。
長くなるし、コンテンツとして濃いので。なので、ちょっと待っててください。
ここでは再展示の様子を。
1年生の時は大学に大きいモニターを借りて展示できたんだけど、家でモニターあるのか、、、?と心配してたが、昔家で使っていたテレビがちょうどあった。神。それを縦に配置して、木は本物を使用。全てが上手く用意できて、しっかり再展示が実現できた。
写真2枚目参考、お世話になっている銀行員の方々が展示を見に来てくれた。なんと、真剣に金のなる木を鑑賞している。その構図が面白すぎて、写真を撮らせてもらった。
銀行員の人がお金について語ってる女の子たちの話を真剣に不思議そうな顔で聞いてるの、ほんとすごかった。最高。
金のなる木は思い入れ深い作品だし、デカくて中々再展示は難しい作品だったから、今回初個展で実現できて本当に良かった。
記録5 お客様の感想
初個展、お客様の感想はとても気になるので自由に書いていいノートを用意した。
そのノートに頂いた感想を記録する。都合により改変している部分あり。
私は全てを保存したい癖があるのでもちろん全て記録させていただきます。
沢山の素敵な感想やメッセージ、本当にありがとうごさいました。宝物です。
記録6 何様シランの感想
やっと私の感想文です。(脳内そのまま文字起こしなのでハチャメチャです。)
こんなにながーい作文したことない。ウチの大学は論文じゃなくて卒業制作でいいから、こんな長文書くことほんとにないよ。でも今1万文字とちょっと全然やったわ、、、、
PCで文章書けない。書けるけど書けない。自分が出ない。いっつもケータイをずっといじってるから、iPhoneでフリックして、好きな顔文字だして、いつもの予測変換だす。それが1番自分の文章書けるから、ずっとiPhoneでnote書いてる。でもね、フリックも割と疲れるね。指紋が薄くなりそうだ。
って感じの今PM17:18
初個展は、一言でいうと大成功だった。
最高すぎて、3日間幸せにどっぷり浸かって想像だからベタベタしないハチミツの瓶に入ってた気分だった。
何様シランという名前は、「金のなる木」に登場する女の子キャラの15人目の名前からとったものだ。その子は何様シランで、本当にぱっと思い浮かんで付けた名前だった。金のなる木を展示し終わって、1年後くらいか。何様シランって名前がとても気に入って、自分が何様シランになりたいと思った。
それまで私は「春蘭」と名乗って作品を作っていた。春蘭は親が私に名付ける名前として候補に挙げていたものだった。今の本名か、春蘭の2択だったらしい。シュンランと読む。とっても可愛い名前だ。けれど、春蘭はなんだかラーメン屋さんみたいだから、今の本名になったらしい。この春蘭が気に入っていて、しかも、本名になるかもしれなかった名前だったので、アーティスト名に使っていた。
だけど、何様シランにビビっと来すぎて、何様シランになるしかなかった。それから何様シランの名前で作品を色々作って展示会にも参加した。いつか自分の個展を開きたい、そんな考えも芽生えてきた。それが2年生の終わりくらい。
そのタイミングで、大学の某提出物に、3年生の目標に「実家で個展を開く」と記入して出した。この時には、場所は絶対実家がいいと思っていた。その提出物はまあまあ実行できたらいいねって内容を書くものだったから、割と本気で実家での個展開催を考え出した。
でも、今の作品の量や質は盛大な実家での個展開催に見合わないとどこかと感じていた。なのでまた制作し、展示し、の繰り返し。ホームページも作ったりして、段々アーティストとして体制を整え出す。
そんなこんなで、3年生が終わってしまった。もう実行するタイミングだ。そう感じたので、当初の計画よりは遅くなったけど、4年生の6月に開催できるように本腰で準備を始めた。
その頃には、平面だけじゃなく、冷蔵庫の作品「sho w(笑) me 期限」だったり、骨格標本を用いたZAWA WORKSさんとの作品「♀ミ超解剖」、藤田モネさんとの作品(絵皿)「source juice collection」などなど、立体物やコラボ作品も増えていて、飾りきれるのか?と不安になるくらい沢山作品ができていた。
お2人のHPをここに。
またぜひコラボしたいお2人。
作品は揃っている。でも、住宅地での開催。旭川。
「どうやって人を呼ぶの?」色んな人に聞かれた。それな。自分も正直全然人は来ないと思ったし、全く自信がなかった。SNSも全然弱いし。
でもライナーさん(旭川市のフリーペーパー)に掲載させて頂くことは決定したので、それに向けて広告をデザインしていた。
個展のタイトルは、随分前に考えていた"「お前、何様?」♡兄った青春は死にたいになって還ってくるのか"。これが、その時もしっくり来たし、他に考えられなかったので、このまま使うことにした。
ライナーさんとデザインについて打ち合わせしている時、問題が浮上した。
この個展タイトルの「死にたい」という表現についてだった。紙面に載るものだし、このご時世なので、もしかしたら差し替えが必要になるかもしれないと言われた。
確かに、公に出すにはちょっとアグレッシブすぎるよなと思った。とりあえずその時は、「死にたい」がNGなら「シにたい」とカタカナ表記にするか、他の案があれば他の言い回しにする方向で、という話になった。
それからデザインに修正をいれてライナーさんに提出したのだが、私は「死にたい」そのままverと「シにたい」カタカナverの2通りで提出した。
やっぱり、あのタイトルは「死にたい」じゃないとどう考えても納得いかなかった。ストレートに、そのまま、死にたいじゃないと、伝わらないと思った。
その旨をライナーさんに伝え、どうしても駄目だったら「シにたい」を使って欲しいけど、それは妥協になります。と言った。
その結果、担当の方が頑張ってくださり、「死にたい」をそのまま使えることになった。本当にありがとうごさいました。
このような変遷を経て、広告デザインも完成し、無事に紙面に載ることができた。
周りが普通の広告の中、どピンクで「お前、何様?」と書いてあるのだ。最高だった。
実際にライナーを見て来てくれたお客様も沢山いて、嬉しかった。旭川は旭川でも、車を使わないと移動は厳しい。そんな土地柄でわざわざ足を運んでくれたことは、本当に嬉しかった。
出身小学校と中学校にも宣伝しにお邪魔した。快くフライヤーとか受け取ってくれてありがとうごさいました。
そして、個展にお世話になった先生達が見に来てくれた。会うのも久々だったし、嬉しかった。もう大人だよ。感慨深い。偶然、小中同じ同級生の子も先生と一緒に来てくれて本当に嬉しかった。すごい美人になってて、でも変わらんくて、最高だった。お花までありがとう。
出身中学校からはもう異動しちゃってて連絡とる方法なくて悲しいなって思ってた、担任の先生。2日目、いきなり来てくれて本当にびっくりした。嬉しかった。中学校ん時べつに仲良くしてた訳じゃないんだけど、なんか他の先生とは雰囲気が違くて印象が強くて。大人になったら逆にたくさん喋れるなあっていうやつ、
色々お話出来た 差し入れって重たい何かをプレゼントしてくれて、後で見てみるとワインと日本酒だった。時間の流れを感じるね。めちゃくちゃ大切に飲みたい。先生ともご飯とかいつか行きたい。本当にありがとうございました。また会えますように。
2日連続来てくれた方もちらほら、本当にすごいことだよね。ありがとうございます。
涙ながらに感想とか自分の思い語ってくれたお母さんとか、じっと作品色々見て2日目に学生さんだった時の卒業制作の短歌集持ってきてプレゼントしてくれたお姉さん。なんかもう言語化が難しい程すごいことです。本当に感謝、最高の時間。
結局、心配していたお客さんの数だったけど、3日間ともたくさんの方に来て頂いて、暇してる時間は全くなかったし、賑わっていた。
見るものも多かったし何様の作品は見るだけじゃなく読んだり聴いたりするものも多かったから、盛りだくさん、楽しんで貰えたと、思う。
お花も沢山いただいた。
本当にありがとうございます。みんな、すごいの。私に合わせてピンクとか紫のお花を選んでくれて、会場にぴったりのステキなお花たちに囲まれました。しあわせだね。
(お花を頂いた皆様にはお礼に個展オリジナルポストカードを送付させて頂きました。)
初めての個展で、しかもギャラリーとしての使用は初めての実家で。設営も自分でやったのだけど。私は展示の経験がわりとあるけど、両親そしてマネージャーのサポートが何より大きかった。設営の時から、未経験の部分もあるのに全力で手伝ってくれた。本当にめちゃくちゃ付き合ってくれた。でも、やはり両親がお店(flower cafe hanna)を開いていた時にこなしてきた数々のイベントで培ってきた知識や経験値がとても心強いサポートになった。hannaにも感謝です。
そのおかげで、初個展、たくさんの作品、会場作りから何まで、全てが会期に間に合った。これは本当にすごいことで、展示会って、設営が間に合わなくてオープンしてもまだ準備してる部分があるなんてことも、割とある。それが、私一人と、両親マネージャーとで、間に合わせることが出来たのだ。
普通に、奇跡的な偉業だと思ってます。
そんなこんなで、今回は沢山の人に支えられたことも実感した。本当に、感謝が溢れるってこういうことかと。
"狙っては無いのだけど、辿るとルーツに繋がる。"
記録3のライブペイントの所でも出てきたが、これが本当に多い。
実は「3年ぶりの地元」の記事もあ!!!と思いつき、急遽印刷して入口横に展示したんだよね。
入口入って、御愛拶読んで何で実家でやるのか知って、3年ぶりの地元読んでもっと育った場所旭川に対する思い知って、そんな変遷経た人生から生まれた作品群見て、ライブペイントで「♡兄った青春は死にたいになって還ってくるのか」の答えを知る。
挑戦的で疑問形のタイトルに直感で決めたけど、全てが円環しているように、スっと落とし所のある個展という名のどデカい作品が今回はできた。そんな気分。
会期一日前、天気予報が1週間ずっと、本当に雨雨雨雨雨雨雨雨雨雨だった。マジかよって思ったけど、本当にありがとうございます、会期中ずっと雨降りませんでした。むしろ、晴れて暑い日が多かったです。天気にも恵まれて、最強だった、
あと、絵を描くのは好きだけど、、、と進路に悩む子と親御様たちも来てくれて、とても嬉しかった。今回見せて、刺激になればいいなって思って来ました、と。有難いです。自分でも何言ってるか分からんほどド下手なアドバイスだったと思うけど、色々お話出来て良かったな。でも本当に私も何様シランとして動き始めたのはここ2~3年の話だから、中学生の時の自分とか思い出したな。
絵が描くのが好きで、私の作った額縁に自分で絵かいて飾りたいって額縁買ってくれた子。すごく素敵だし、嬉しかった。楽しんで描いて欲しいなあ。
しつこいほどうるさいほど自画自賛していく、くらい、初個展は最高だった。
でも、同時に今後が少し不安になった。びっくりした。不安になるんだね。だって、この最高は今後更新できるのだろうか?
それってすごい難しいことだよね。
間違いなく熱量も想いもMAXだったし、環境も恵まれてたし、何にせよ、今回は初めてだったのだから。
でも、これでいいよね。初めては最高であれ。
でも、「あの頃は良かった」には絶対ならない。なるもんか。
最高を同じベクトルで更新はしなくていい、けど、新しい何かを生み出したいし、深みも出したいし、クオリティだってもっと上げれるはず。
今度は東京で個展開催できたらいいな。
呼吸をするように、生き様を映した作品をたくさん作りたい。
この下に書いてた文章が、保存されずに死んじゃった。そんなに長くはなかったけど。プツンと脳みそ止まったのでそろそろお開きにしようかな。
すごい長くなったね、永久保存感想文を要約するなら「大成功でした」です。
ここまでしっかり読んでくれた方ありがとう。好きな部分だけ読みに来てくれた方もありがとう。個展来てくれた方ありがとう。配信見てくれた方ありがとう。応援してくれた方ありがとう。行きたいって思ってくれた方ありがとう。支えてくれた全ての皆様、ありがとう。
また実家で個展したいと思ってる。旭川を嫌ってたけど、個展を開いたことで超寛解しました。旭川ありがとう。
最後に
"「お前、何様?」♡兄った青春は死にたいになって還ってくるのか"開催中の様子をまとめたアートブック制作を考え中です。写真も色々収めたので。完全予約受注生産という形にしようと思ってます。またお知らせします。
永久保存感想文 終
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