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普通に幸せだったから病みたくて自ら自分を病ませた中学生の顛末

今のわたしは中学生の時のわたしにとても影響を受けている

中学生。

友達は多くなかったけど
思い悩むほどではなかったし

塾も行かせてもらってて
当時はわりと勉強できる方だった記憶

中学生に上がって周りの子が
可愛くなったりちょっと大人に見えたりして
その中思いっきりブスの皮ぶら下げて
生きてるのはちょっと辛かったけど

トラウマになるくらいの出来事とか今までなかったし
親とも仲悪くないし

普通に幸せな子供だったと思う

というか絶対にそうだった
不自由別にないし
幸せで
そんな尊い環境が自分にあるって考えると
泣けるくらい
幸せだった

とても覚えている記憶
お風呂に入ってる時とか
布団に入った時とか

自分じゃなくて
親とか周りの人たちが死ぬのが急に怖くなる
そして本気で知らない人にも嫌いな人にも
死んで欲しくないと思ってて
でもそんなの無理だから
みんないつか死んじゃうから
それが怖くて バレないように泣いてた

そして基本的に親には
自分の喜怒哀楽を見せることがあまり無かった
恥ずかしいことだと思っていたからだ

まあよくある事だと思うけど
学校どうだった?と言われても
真顔で小声で「普通」としか答えないタイプのあれだった

普段そんな対応なのに
友達といる時の声のトーンとか
沢山笑ってるところとか
一人で泣いてるところとか
男の子と関わってることとか

そういうの一切見られたくなかった

見られないように生きてきたから
完全に親からしたら
わたしはあまり深いこと考えてなくて
悲しいとか今時っぽいことしてるとか
しない子に見えてるんだろうなって思い込んでた


なので
わたしの趣味は完全にわたしの部屋で
儀式のようにコソコソと楽しむことが増えていった

中1
可愛いものは昔から好きだった
なので可愛いものを所有してることも多かった
でも "ただ可愛い"ものが多かった

そんな中 
きゃりーぱみゅぱみゅ 
という存在にわたしは出会う

衝撃を受けた
グロいのに可愛いしそれを身につけている。。
この感じ、好きだ!!!!!

それから原宿が大好きになった
親の都合で東京に行くことはあったので
原宿でグロ可愛い物とか集めたり
原宿ファッションにハマってた

同時に
ボーカロイドとの出会い

中学生のわたしは人間の曲に一切興味がなかった
ボカロしか聴いてこなかったくらい
興味がなかった

小学生の頃は嵐とか一時期好きだったけど
ほんとに歌手のひととか知らん

でもボカロと出会った時は衝撃を受けて
まあ人間の曲って ド派手にぶちまけたようなやつが全然ないイメージをもってて
だから
ボカロはもうなんでもぶちまけていいんだぜ!!!っていう世界に見えて
やばいって思っちゃって
マイナーなボカロとかも漁ってた
。。「顛末」という言葉を覚えたのもボカロを漁っていた時に「その攻勢の顛末」という曲に出会ったからだ。L-toneさんの曲。


きゃりーぱみゅぱみゅとボカロ

この2つの要素が
わたしを変な方向にもってった
ワロタ

きゃりーに影響受けてから
当時は 目玉のアクセサリーめっちゃ持ってた
目玉の指輪に目玉のリボン、ヘアゴム
あと骨のヘアクリップとか
血のハートの指輪とか

あとボカロはヤバい曲とかもあるから
鬱々としたものとか ちょっと怖いのとか

あ〜よく覚えてるのは
骸音シーエの 細菌汚染
グロいし怖めの感じだけど
シーエちゃんかわe〜(^^)て感じだった

まあそれで
グロテスクに興味が走り

そこからまあ不可抗力で
メンタルヘルスのことや
闇を感じるサイトや死への興味
がめちゃくちゃめちゃくちゃ湧き

精神を病んでる人は自傷行為をすることを知る

わたしはツイ廃だったので
よくツイッターで 病み垢の人とか
リスカ載っけてる人とか覗いてた

中にはガチでやばい脂肪見えてる人とかいて
半ばウオ。。。となりながら
それでも見続けた

みんな苦しんでいる
病んでる
弱い
人間の弱い部分

人間の本質に触れた気がした

物事をただ平凡に捉え受け止めるんじゃなく
自分が擦り減るまで
心がぐちゃぐちゃに捻れるまで
もがき苦しむ

なにそれ なりたい

そうなりたい

そう思った

わたしはちゃんと幸せだった

でも 幸せだったので
人間がとことん弱くなることとか
辛くて辛くて何も手に付けられない人もいるとか
知らなかったのだ

でもやろうと思えば自分にもできるのだ

だから
わたしは自分から病みを追求し

自ら自分を病ませた

なんか長いし区切りたいので

普通に幸せだったから病みたくて自ら自分を病ませた中学生の顛末part2

気が向いたら書こう


追記
part2 書けた、

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