見出し画像

大学時代の出会いと心境の変化


前回書いたように医学部に入学した当初は、正直なところ医師/医療者になる自覚はあまりありませんでした。直感的にいつか何かが繋がるだろう、やりたいことがないのならせめて人の役に立つ方向に進もう、みたいな感覚でした。それは卒業を控えた今でもあまり変わりません。実際働き始めたらやっぱり全然違った、となる可能性も全然あるけど、今のところそんな感じです。

こんなふんわりとした動機でなぜ6年間続けてこれたのか?それは勉強がそんなに苦でない性質と、人との出会いだと思います。前提として、初めて訪れた土地で一人暮らしをするなかで、日常を共に過ごしてくれた友人の存在は大きいです。そして、今回は自分の将来を照らしてくれたのは3人の先生とその出会いによる心境の変化を書いてみます。



1人目 : 地域医療に携わるO先生

私が在籍していた医療系勉強サークルでは、毎年夏に希望者で地域医療の実習に行くイベントがありました。私は1年生でまだ何も医療の勉強をしていないなかで、先輩方に連れて行ってもらいました。その時、村に1つの診療所で勤務する先生に出会い、バーベキューに誘ってもらったり、一緒に老人ホームに行って出し物をしたりしました。正直大学に入るまでに出会ってきた医者は、風邪をひいた時に行く病院の怖いおじいちゃん先生、くらいの印象しかありませんでした。でも、この時出会ったO先生は診療所の内外で人と関わり、信頼されるために努力していて、こんな医者もいるのかと驚き希望になりました。私は実習としては何一つできなかったけど、その時初めて医療というものを知って、そして慣れた手つきで診療の補助をする先輩方を見て、自分も医療者になるのだとやっと覚悟を決めました。



覚悟を決めたといいつつ、大学2年~3年の2年間はコロナ禍で思い切り遊ぶこともできず、ただバイトをして、授業を受け、テストを受け日々を過ごしていました。

2人目 : 研究室のH教授

そんな折、4年生の研究室配属で抽選に外れ、事前に一番ブラックだと言われた研究室になりました。初めはなんて運が悪いんだ、と嘆いていましたがこれが人生を大きく変えたと言ってもいいくらい大きな出会いになりました。3ヶ月間の研究期間で発表、レポートの作成まで行いましたがそれがとても楽しくて、大学に入って初めて知的好奇心や学問の面白さを感じました。(実際全くブラックではなかった。)もちろん楽しませてくれた研究室の先生方の気遣いや優しさは大分あるのですが、それ以降2年くらい研究室に通うようになっても面白いという気持ちは相変わらず続いています。不思議なのは、研究している間だけでなく、行き詰まって勉強している時にふと何かが繋がる感覚があって、それが一番の面白さなのです。

この研究室の教授は廊下でサッカーボールを蹴っているような独特の面白さを持った方です。来るもの拒まず去るもの追わずという感じで人に興味が無さそうに見えて、それとなく相談すると「悩む時は悩め」とアドバイスをくれたりします。高学年の期間はその自由さにとても救われていました。



4年生の研究配属が終わると、すぐに病院実習が始まります。やっと医学生らしくなりますが、2週間おきに実習する診療科が変わり、求められる常識や行動を把握し順応する、をひたすら繰り返すストレスフルな1年間です。その間に各科の勉強をしつつ、自分がどの診療科に向いてるかなと考え始めます。(ただし決定するのは卒業後)

3人目 : 産婦人科のT先生

私は最低限の実習をしながら、研究室に通うような学生だったのですが、産婦人科だけは元々の興味関心もありつつ、いくらでも実習していたい、もっと仕事を覚えたい(?)と思う診療科でした。労働条件とか訴訟リスクとか言い出したらきりがないけれど、ここならやっていけるな、と直感で感じました。たぶんそのきっかけの一つになったのが、T先生です。実習初めのオリエンテーションの時に、いきなり1人でインドに行ってジャンプしている写真を見せられ、コロナ禍の時にこっそりワクチン打って休み取って行ったんだよね〜と言われたのが衝撃でした。診療の姿はほとんど見ていないし、それが診療科を決めた理由とは言えないけれど、実習期間で最も印象に残っていて大きく勇気づけられた先生です。

だいぶ長くなってしまいましたが、この3人の先生の影響があり、私は産婦人科として臨床(病院に来た人を治療する)もやりたい、でも研究は楽しいしもっとやりたい!となりました。

では卒業後はどう進んでいくのか?
また続きを書くので読んでいただけると嬉しいです〜

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?