no title①
日本一利用者の多い駅が最寄りのCDショップ。ただでさえ出入りの多い店舗だが、今日は一際賑わっていた。
7人組の男性アイドルグループ「Meraki」のデビューシングル発売日だ。彼らは、アイドルを目指した青年たちを集めたオーディション番組で選ばれたメンバー。注目を集めたデビュー曲ということもあり、大規模なコーナーが設けられていた。
ジャケット写真を大きく引き延ばしたポスターが貼られていて、その横の壁一面はファンのコメントの書かれた付箋で埋まる。
【かずまくん センターおめでとう♡】
【颯の美しさ限界突破】
【美声響かせ蒼吾くん!!】
多くの愛が並ぶ中、今まさにその下でペンを走らせている女性がいた。横でわいわいと写真を撮る女子高生とは違い、ブラウスにテーパードパンツにヒールという、いわゆるオフィスカジュアルに身を包む。
ゆっくり、丁寧に。ペンをノックして戻し、壁に付箋を貼る。
【髙田雫毅くん いつも幸せをありがとう】
「あ! ポスターあるじゃん」
「メッセージ書こうよ」
やって来た大学生の集団と入れ代わるように、その場を離れた。
◇
「Meraki 3rdシングル発売!」
楽曲を入れていないときに流れる、カラオケ限定の宣伝のチャンネル。それを横目に、黙々と清掃作業をこなす。裏へと戻ると、バイトのスタッフたちがポスターの整理をしていた。
「明日の特番、雫毅出ないんだってね」
「ね。新曲初披露なのに」
同じ大学で仲が良い2人と俺、というこの空間に少し疎外感を感じていると、後ろから店長がやって来た。
「あ、泉原くん、ちょっと見てきてほしい部屋があるんだけど」
「はい。ちなみにどういう?」
「23番の部屋のお客さん、突っ伏したまま動いてないんだと」
部屋に設置されたカメラの映像を指しながら言う。角度的に後頭部しか見えないが、こういうのは大抵酔っ払いなことが多い。面倒だが、今いるメンツ的に自分が行くのが妥当だ。
「失礼しまーす」
地べたに座る形でソファに突っ伏している。細身だが、かなり背が高いのがわかる。恐る恐る体をゆすってみる。
「ん……」
目をこすりながらこちらを向いた彼を見て、思わず「え」と声が出た。ついさっき、バイトの2人が持っていたポスターと同じ顔だったから。
髙田雫毅。アイドルグループ・Merakiのメンバーだ。見てはいけないところを見てしまった気がして、一旦視線をそらした。
テーブルの上に置かれたデンモクの履歴が見える。彼がデビューを決めたオーディション番組の前身となるシリーズのテーマ曲だった。
「あの……大丈夫ですか?」
とりあえず出た言葉はそれだった。俺を見上げた髙田雫毅は、すぐにはっとした表情を見せたかと思えば、そのまま勢いよく土下座した。それはもう見事なほどの。
「1週間、いや、3日でいいので、泊めてもらえませんか」
澄んだ声はやはり本人のようだ。というか、いや、待て待て待て。目の前の光景に、まったく理解が追いつかずにいる。
「あの、失礼ですが、髙田雫毅さんですよね?アイドルの」
「……はい」
「その自覚を持ってください。誰だかわからない初対面の人間にそんなこと言わないでください。リスク管理なさすぎですよ。ホテルに泊まるなり、マネージャーに連絡するなり、方法はいくらでもあるでしょう」
「手持ちがないまま出てきてしまって……。お恥ずかしいことに、電子決済にもついていけてなくて。マネージャーには友達の家にいるって連絡してます」
普段彼を見るのは画面の向こう側だからあまり意識することはないし、むしろ大人びて見えるが、確か彼は年下だった。パフォーマンスとは打って変わったような幼さがしっかりと見えた。
「マネージャーがホテル手配してくれたりとかないんですか」
「こんなペーペーがそんなこと言えないです。寮を出てきたのも、僕の勝手なんで」
答えてもらっておいて、俺は黙ってしまった。若い彼に、何と声をかけていいのかわからない。視線を泳がせて、ソファに置かれたスマホに目がいった。正確には、スマホのケース。
「……葛西柊さん、好きなんですか」
「え」
俺の問いに、髙田雫毅は潤んだ目を大きく開いた。
「そのスマホケース、葛西さんがオーディションに参加する前にやってたバンドのグッズの、葛西さんデザインのやつですよね」
デンモクに表示されていたシリーズ1のテーマ曲。参加者たちが1番最初に歌ったオリジナル曲だ。その中に、葛西柊という青年がいた。
「はい。初めて見たときから憧れです。でも、何で」
「俺も好きなんで。同じの、家にあります」
俺は彼がベースとして活動していたバンドのファンで、解散後にオーディション番組に参加すると知った。初回からリアルタイムで追っていて、毎度衝撃を受けていた。
髙田雫毅と「人間」以外の共通点があったとは、と驚いていると、彼は勢いよく立ち上がり、そのまま頭を下げた。
「お願いします! 1日でいいんです、泊めてください!」
今の流れで、どうしてそこに戻るんだ。ツッコみたい気持ちとは裏腹に、さっきまでとは違う考えがぷかぷかと浮き出ていた。
髙田雫毅を背に、俺はドアに手をかける。息をゆっくり吸ってから振り返った。背の高い彼のつむじが見える。
「……先、会計いいですか」
顔を上げた彼の瞳は、ほんのわずかに光を取り戻したように思えた。
◇
「これ、葛西さんの文化祭の映像ですか!?」
沈み込んでいた髙田雫毅はどこへ、と言いたくなるほど大きな声だった。
あの後先に店を出てもらってから、仕事を終えて合流した。アイドルを呼ぶには無相応すぎるボロアパートで申し訳なくなったが、髙田雫毅は何度も「ありがとうございます」と「すみません」を繰り返した。
簡単に自己紹介を済ませてからひとまず風呂に入ってもらい、俺の服を渡した。身にまとった姿を見て驚いてしまった。ああ、芸能人だなという実感。本当に同じ服か?と思った。着る人で決まるというのをこんな形で再確認することになるとは。
「俺も入ってくるんで、そのへんで気軽にくつろいでください」
「はい。ありがとうございます」
シャワーを浴びながら考える。さあ、どうしたもんか。髙田雫毅が家にいる。あらためて考えても、意味がわからない状況すぎる。
俺が風呂から出ると、髙田雫毅はCDやDVDを収納しているラックを見ていた。最近はもっぱらサブスク生活だから、ラインナップは昔からあまり変わっていない。
物音に気付いたのかこちらを振り向いたその目は、きらきらと光を帯びていた。そして出たのが、さっきの大声。彼が指したDVDディスクを手に取る。
「友達が葛西さんと同じ高校通ってて、文化祭へ呼ばれて遊びに行ったんです。そのときに生で見たのが最初でした」
文化祭は高校生のお遊び、などと揶揄されることもあるが、葛西柊の技術とオーラは素人目で見ても飛び抜けていた。たまたまレコード会社の人間がいたらしく、後日スカウトされたのだとか。
「へえ〜」
純度100%の感嘆でできた息を吐く髙田雫毅を見て、彼の中で本当に葛西柊は特別なのだと思った。
「……見ますか?」
俺の問いに、頭を大きく揺らした。
◇
葛西柊は、表現者として生きるべきだ。
俺は何様なんだ?と言いたくなるが、心の底からそう思った。バンド時代に作詞作曲をしていた彼だが、最初の文化祭からずっとボーカルを担当することはなく、もちろん踊ることもなかった。歌詞に惹かれていた。
オーディション番組中の彼は、歌もダンスもさらりとこなした。それは決して無難ということではなくて。
披露する楽曲によって時に繊細に、時に荒々しく変わる声色。バラードで響かせた伸びやかなハイトーンは視聴者を魅了した。
ダンスでは、後ろの小さな音も拾い纏ってみせた。元々持っていた耳と体幹の良さ、回を重ねるごとに上達していくカメラや観客を意識したアピール。
葛西柊という存在に夢中になった。次はどんな表現で魅せてくれるんだろう。しかしデビュー枠にあと一歩届かず、彼は表舞台から姿を消した。「ラストチャンスだ」という当初の宣言通りだったが、本当にショックだった。悔やんだし、しばらく引きずった。何なら今も思い出すと沸々と湧き上がるものを感じるくらいだ。
その過程があったから、シーズン2が開催されると知っていたものの、リアルタイムで追うことはしなかった。葛西柊がデビューできなかったことで、自分の知らないところへ行ってしまうことの悔しさと苦しさを知ってしまったことで、新たにそんな存在ができること自体が怖くなった。
でもやはり気になってしまい、デビューメンバーが確定してから番組を追った。歌唱、ダンス、協調性、演技力、バラエティ力……。アイドルは、本当に多種多様だ。
幼少期からミュージカルに多数出演している天宮蒼吾や、美しいビジュアルでモデルとしても活躍する如月颯が参加するということもあり、あらゆる層を取り込むことになったのだろう。
その結果と言っていいのかはわからないが、選ばれた7人はバランスが良い、と思う。俺は素人だからその評価が正しいのかはわからない、が、彼らを見る人間の割合からすると、大多数は同じような素人になるだろう。
アイドルを世に放つのはプロデューサーやらその道のプロたちの力かもしれないが、受け取り手はいわゆる一般人の我々、素人だ。
それが時に吉と出たり、凶と出たり。あのときの葛西柊にとって、今の髙田雫毅にとって、アイドルたちにとって、何をどうするのが1番なのだろうか。
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