no title③
【髙田雫毅くん いつも幸せをありがとう】
大きなポスターを背景にして、メッセージを書いた付箋を持った手元を写した写真。大理石モチーフのネイルが綺麗に見えるように、でもこれ見よがしに感じない程度に。
デビューをこんなに盛大に祝ってもらえるなんて、と幸せを噛みしめていた。何枚か撮ってからメモを壁に貼る。メンバーの好きなところを挙げているメッセージが多く見られた。心の中で共感を唱えながらも、私が書いたのは感謝の一文。
伝えたいことも、好きなところも山程ある。素敵だな、本当に好きだなって思うことばかり。何が好き?って結構愚問だ。嫌いなところが見つからないから。
雫毅は根っからのアイドルというよりか、心から音楽を愛している人だなと思う。いろんなジャンルの音楽を聴き、演劇も映像・舞台問わず詳しい。インタビューではいろんな作品の名前を挙げる。少しでも知りたくて、でも追いきれない。インプットを怠らず、それをちゃんと消化して自分のものにできる。回を重ねるごとに新しいものを見せてくれた。
周りを見ることにも長けているから、それゆえにいろんな方面からの自分の見え方を気にして、消極的になってしまう姿をよく見る。
今回の活動休止も、そういう彼の繊細な部分が影響しているのではなかろうか、と思う。
彼を知って、私の見る景色はぐんと明るさを増した。
髙田雫毅というアイドルに、出会えて良かった。
◇
仕事終わり、タイムカードを切ってからSNSを開く。いつものルーティーン。学生の頃に作ったリア垢はもうしばらく動かしていてない。毎日稼働しているのはいわゆる趣味垢。名前は本名そのままの『moca|《モカ》』。薄いブラウンのアイコン、プロフィールには『Shizuki Takada』とだけ。
帰りの移動はいつも階段を使う。適度な運動を心がけているのが4割、残りはエレベーターで誰かが乗ってくるのが気まずいことに全振り。さすがに降りているときは画面を見ず、片手に持ったまま。
「こらー、危ないよー」
下からの大きな声に思わず顔が歪む。上司……というか、包まず言うならば他課のおじさん。一目散に家に帰りたいところだけど、踊り場で足を止める。
「スマホ落とすよ?」
「お気遣いありがとうございます。でも大丈夫ですよ」
「てか井上|《いのうえ》って帰るときいつもスマホ見てない?」
「勤務時間中は見ないようにしてるので、その反動で。普段から依存症気味なんです」
素早く画面を自分側に向けた。この中はどの場所よりも私のプライバシーが詰まっている。死ぬ前にちゃんと破壊してから死にたい。叶わなかったときでも念の強さで遠隔的にデータを消せそう。そんなことを思いながら、また足早に歩き始める。
「お先に失礼します」
染み付いてしまった愛想笑い。ここから先は絶対に引き止めてこないことを知っている。この人は「若い女の部下を気にかけている」という、あくまで自分の中での思い込み設定に酔いたいだけ。
私自身は面白いことなんて何も言えないのに、毎度毎度話しかけてくるところは尊敬できるかもしれない。私にとって職場の人はそれ以上でも以下でもない、お金を稼ぐための場所にいる人。興味が持てない、というか割くほどのキャパがない。だからすごいよ、おじさん。そこは単純に褒めることができそう。
さっき反射的に閉じたアプリを開き直し、この前行ったカフェの写真をアップする。アフターヌーンティーセットと雫毅のアクリルスタンドを写したものと、首から下を写した友達との写真。基本ネイルはチップで、仕事の日は外している。別に身バレしても困らないけど念のため。
いわゆる『オタク』に世間が寛容になったとはいえ、偏見は界隈ごとにまだまだある。私が変な人だと思われるのはいいけど、決して綺麗ではない、時にどす黒い感情の中に雫毅が含まれてしまうのが、嫌で嫌で仕方ない。
雫毅、元気かな。ちゃんとご飯食べてる? 眠れてる?
少し前から活動を休止している。体調不良だということだった。ファンクラブ限定のブログでは「心配しないでね!」と言ってくれていたが、何をしていても浮かぶほど心配だ。ブログの更新もその日が最後で、今は確認できる手段がない。
雫毅の夢は全て叶ってほしい。その瞬間全てに立ち会いたい。距離感バグな上司も、曲がり角の近くで話し続ける中学生も、理不尽だと感じる災難も、全部全部大目に見るから。大声でフルネームを呼ばれるの、雫毅だったら大歓迎なのに。
「望」みが「叶」うなんて大層な漢字が当てられた私の名前を捧げることができたなら、ファンの中でもかなり上位の貢献度になるんじゃないかな、なんて出来もしないことを考える。
徳とお金は積めるだけ、積めるときに積みたいのが本音。年金も生命保険も平均寿命もいらないから、今もらえる対価をそのままください。太く短く、好きに動けるのは今しかない。やろうと思えば生涯オタクもできるんだろうけど、原動力と還元のほぼ全てを推しに注ぎ続けるなんて、非現実的なんだよね。
この好きが続くかどうかもわからないけど、今の私を救ってくれているのは紛れもなく、アイドルの髙田雫毅だから。なけなしのお金で経済は多少なりとも回っているのだから、少しくらい願いを叶えてくれてもいいんじゃないか。
カメラロールに残る、ファーストライブの写真。
この日はショート丈のコートにハイウエストパンツ、黒のショートブーツを合わせて、髪は巻き下ろし。「かっこいいファッションが好き」という雫毅に寄せてみた結果だった。
見てもらうのが目的、というのもなきにしもあらずだけど、雫毅が好きな服装を選んだことで、もうすぐ雫毅に会える!という実感が得られる。普段使いできるものを選ぶことで、後々着たときに「これで雫毅に会いに行ったな」って思えて、良い思い出に包まれる。
デビュー後初めて、生のMerakiを見る日。公演が始まった途端、既に大粒の涙が溢れた。メイクが崩れるのを避けるために目は開いたまま、ハンカチで押さえた。みんな本当にすごかった。
リーダーの和馬。どこをとってもレベルが高い。さすが1位デビューの正統派だと思わされた。
最年長の佑。コンセプトの消化能力がすごく、まさにカメレオン。この時点でもう既に演技の仕事が決まっていて、MCで話していた。
バラエティで大活躍の晃太。ダイナミックなアクロバットをこなすとは思えないポンコツ天然ぶりをMCで爆発させ、笑いの渦を巻き起こしていた。
メインボーカルの蒼吾。ミュージカルで培ってきた声の圧が桁違いだった。声色の使い分けもさすがで、リアルに空いた口が塞がらなかった。
圧倒的ビジュアルの颯。「華がある」の意味を、この身で理解した。顔の造りとスタイルが異次元。
末っ子でラップ担当の櫂。小柄で可愛らしい顔立ちと、魅せるラップの温度差がとてつもない。ギャップで言うと1番すごい。
そして、雫毅。
ずっと画面越しで見ていた緩急のついたダンスに、ああ雫毅だ、雫毅がそこにいるって実感して、息が苦しかった。会場いっぱいに響くフェイク。伸び伸びと歌う雫毅がこれでもかと輝いていた。
アンコールの最後にメンバーの挨拶があった。順番にライトで照らされて、思いを話していく。雫毅の番がやってきた。私はまっすぐ彼を見つめた。
「___年齢的に今年が節目だと思ってたから、このオーディション番組が最後のチャンスだろうなって。期間中はあっという間で、今日こうやってステージに立ってるのがまだ夢みたいというか。このペンライトの景色は、ずっとずっと覚えてたいです。
僕たちをここに立たせてくれて、ありがとう。本当に本当に支えられてます。これからさらに素晴らしいものを届けていくので、Merakiをよろしくお願いします」
手のひらがひりひりと痛かった。こんなにも自分の拍手を届けたいと思ったこと、あったかな。ただひたむきに、真面目に。そんな人がそのまま評価される世の中ならいいのにね。そしたら雫毅は、もっともっと早く世界へと飛び出していたんじゃないかな。でもその場合は多分、私は雫毅に出会えなかっただろう。
無理はしないで、でも雫毅が「無理をしてでもステップアップしたい」と思ったなら、私はそれを応援するべきなのか。アイドルというのは1つの職業で、商売で、でも彼らは人間で。だから難しい。間違いはともかく、何が正解なんて言えない。
だから私は願っている。
雫毅がずっと、幸せでいられますように。
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