「エンターテインメント」の街、ニューヨーク 〜旅行記vol.1〜

エンターテインメントって何なんだろう。
ラスベガスのショーとか、スタンドアップコメディーとか、ディズニーランドとか?
ニューヨークに行った時に見たブロードウェイは涙が止まらないくらい素晴らしいものだった。
それは本当

だけど、私がニューヨークへの一人旅を思い出す時の「エンターテインメント」はそれだけじゃない
なんかもっと、こう、些細で地味なものである気がする。

例えば、パストラミサンド屋の店員さんがコワモテなのに丁寧な英語で喋ってくれたり、
ブルックリンの古着屋さんのレジのにいちゃんが流れてるBGMに小躍りしながら良いもの見つかった?と聞いてくれたり、
休憩時間に長蛇の列ができるブロードウェイのトイレで誘導の人が空いた個室のドアを押さえながらありがとうって言った人全員にどういたしまして、って返してくれたり

自分の住む街が「世界的に有名」な観光地であることを知ってるニューヨーカーたちが、訪れる人のために 憧れの街、ニューヨーク を演出しようとする心意気がなんて素晴らしいもので、そしてそれってもしかして「エンターテインメント」を体現しているんじゃないかと思った
ビッグアップル、New Yorkという街を演出する役目としてひとりひとりが仕事人を演じてる感じ、と言うのかな ゲストとしてそのショーに招かれた私はワクワクが止まらなかった

もうひとつ
飛行機について

島国に住んでいる私たちの海外旅行はいつでも飛行機が不可欠である。
いつでも海の上から旅は始まるんだ

わたしがニューヨークに行った時の機内席は全部で9列、3列ごとに1ブロックでほとんどの人が一人でその3列を独り占めできるほど空いていた。
だから足を伸ばしたり、寝っ転がったりして思い思いの時間を過ごすことができた
この時間の過ごし方がたまらなく愛おしくてニューヨーク滞在中の自分の精神的な基盤のようなものを作ってくれた。

飛行機は基本的にプライベートがない空間だ
真ん中の席なんかに座ってしまてば上半身も足もなんだか窮屈で隣の人が呼んでいる本や携帯で見てる映画が目に入ると気になったりするし、逆に自分も見られてるのでは?と意識が過剰になってしまうことがある

でも、ニューヨークに向かう前の高揚感と非現実的な感覚とちょっとした恐怖心を抱いた自分にとって誰の目も気にせずに隣に足を伸ばしながら日記に本心を綴ったり成田のコンビニで買ったお気に入りのお菓子を食べたり大好きな伊坂幸太郎の本を読んだりする時間はとても心地よかった そして自分の「好き」を守れていると感じた。

今思えばニューヨーク滞在中に利用したドミトリーも同じような安らぎをもたらしてくれたと思う

毎日若いアジア人の女が1人で異国の街を闊歩していると普段東京では感じない視線や、ちょっと危なっかしい状況に遭遇することもあった

そんな日中のヒヤヒヤ感をドミトリーの2段ベッドの下にカーテン一枚のプライベート空間を作って自分の中から消し去っていた。あの小さなプライバシーが安心をくれて、奮い立たせてくれて、正直な日記を綴らせてくれたことで毎日行きたい場所に行ったりやりたいことをやるためのエネルギーをくれてた

シングルベッド分のプライベート空間
毎日の活力をくれてありがとう
そしてそれの型になってくれた3人分の飛行機の座席、ありがとうね

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