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脳みそをぶちまけて気づいたこと

ジャーナリングを始めて一週間が経った。
現時点で感じたことをまとめてみる。


ジャーナリングとは

自分自身が感じたことや考えていること、思いついたことなどをひたすらノートに書き出していく行為を指します。

そうすることで、不安やネガティブな感情を整理し、「今、この瞬間」に集中するマインドフルネスの状態をつくり出すことができるのです。

そのため、ジャーナリングは「書く瞑想」とも呼ばれることがあります。

マイナビウーマン

始めたきっかけとこれまでの失敗


認知行動療法を始めるときに、ノートに手書きするという作業が伴ったので
「じゃあついでにジャーナリングもやってみよう」と思い、始めた。

今までは何かを書く時、お気に入りのノートとペンを探して、それぞれの専用ノートとして分けて使っていたけれど続いた試しがない。

お気に入りのノートを汚すのがもったいなく感じて、字を間違えたのが嫌で、辞めてしまった。(ノートとは。)

なので今回は手元にあったもので気楽に始めた。
誤字脱字も、あえて気にしない。塗りつぶしてどんどん進める。

"書くこと"が目的じゃない。
"自分を客観視するため"に、書く。

前向きな自分になりたくて、いいこと日記やら感謝日記やらといった
「一日の終わりに嬉しかったことや、感謝したいことを思い出して書いてみる」
というものに何度もチャレンジしたけれど、コレジャナイ感に耐えられず三日坊主で終わる始末。

全然元気じゃないのに、無理矢理よかったことや頑張ったことを探して書くのがなんだか苦痛だった。

書かないと始まらないから「〇〇を頑張った」と、本音では感じられていないけどそれしかないからとりあえず書く みたいな。

スッキリしたくて始めたのになんかモヤモヤする。

ジャーナリングで気づいたこと

対してジャーナリングは、思い浮かんだことをそのままひたすら書く。書くことがないなと思えばそれをそのまま書く。ネガティブかポジティブかも判断しない。

ひたすら思うがままに書いていると
あ、これできてるぞ。頑張ったな。
この時すごく嬉しかったな。ありがたいな。
と、湧き上がる自然な感情に気づくことができるようになった。

ネガティブな感情に対しても、距離を置いて眺めることができるから冷静になれる。

この方法、私に合ってる気がする。

良いことに目を向けるのはとても大切なことだけれど、それだけじゃないのが現実。

無理して自分を偽っている感覚があったのかもしれない。

ネガティブやマイナスは悪いことじゃない。
私がそう感じた、私の感情なのだから、間違いでもなんでもない。


①わざわざ自分を不幸にしなくていい

ジャーナリングをしてみて驚いたのが、ノート2ページ程が軽々と埋まること。

短時間での思考量がこれだとしたら、私は一日にどれだけの考え事をしているんだ。
そりゃパンクするよね。

見返してみると、同じこと(特定の出来事についての事実を越えた悪い妄想)を繰り返し考えていることが多かった。自らネガティブの沼に突っ込んで行ってた。

書き終わったら、これは事実?それとも感情?どうしたら解決できる?私にコントロールできること?
問いながら読み返してみる。

それを毎日繰り返す。
続けるうちに、頭のモヤが晴れてきた。

自分が嫌な気持ちになるようなこと(しかも考えて解決しないこと)をわざわざ考え続けなくてもよくないか?

「考えたくないことは考えない」という選択肢がある。

私は幸せになっていい。


外に出すことで頭の中に余白ができたから、浮かんできた自分への言葉。

私は幸せで居ていいんだよ、幸せを恐れなくて大丈夫、と自分に許可することができるきっかけを見つけた。

「コントロールできないことは考えるな!とか言うけどさ、考えちゃうからどうしようもないじゃん」
ってずっと思ってた。

だけどジャーナリングをやってみることで「あ、考えても仕方ないんだな」と腑に落ちた。納得した。

②「今ここに集中する」の感覚が掴めた気がする

ポッドキャストなどを使ってマインドフルネスに挑戦したことがあるけど
「今」「目の前に集中する」という感覚がずっとわからなかった。

考えが浮かんだら流す と言うけれど
頭の中だけでやるのは私には難しかったみたい。

紙に書く→読み返し客観視する ことで
ぐるぐる思考は一旦外に出したから、それについてはもう考えなくていいんだよ
、と思えるようになり
目の前のことに意識を向けやすくなったのかもしれない。





例えば、ひとりで食事するときのながらスマホ。

考え事をしているのが常で、それが当たり前だったから、生活行動においては何をするにも「無意識」が多かった。

マインドワンダリングしている状態で、それを解決したいとかどうにかできないかと考えながら食事するから、調べようとしてついついスマホに手が伸びる。
「食べる」という行為に意識が向いていない。


思考をゼロにすることはできないけれど
「今考えてるな」という自覚が持てるようになったので、思考と無意識の行動の間にワンクッション置けるようになった。

どうしても気になることがあるなら、食事をする手を止めて、制限を設けて調べ物をする。
終わったら「食べること」に集中する。

全然噛まずに食べてることや、なんか今日のお味噌汁しょっぱいかも、とかいつもは意識しなかった感覚的なことを感じられるようになった。


向き不向きはあるようだけど、今の私には手書きで全部を外に出す形が合ってるみたい。

私にはアウトプットが必要だったんだなぁ。

チャレンジしてみたからこその発見が、またひとつ増えて嬉しい。

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