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ふとした時に思い出すこと@南アフリカ

あのスラムにいた人たちは今何してるんだろう。

6畳程の部屋にベッドが3台。
ギリギリ収まっている。

このただでさえ狭い部屋を、3家族でシェアしているのである。

仕切りもなく、物が溢れかえった安らぎとはかけ離れたスペースで、
死んだような目で遠くを見つめていた女性。

その無表情の中に、それまで見たことのないほどの
とてつもない悲しみを感じた。

あの女性は今頃何をしているんだろう。
あの人に何かできることはないだろうか。

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とはいえ、そのスラムの第一印象は
むしろ明るいものだった。

眩しい青空の下に広がるカラフルな町並み。

町に溶け込む干された洗濯物や、
捨てられているゴミまでもが鮮やかに映る。

日曜日であるからか、
道行く人々もゆったりとしてみえる。

活気に包まれつつも
のんびりとした空気が一帯に流れていた。

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ところで、馴染みのあるスラムという言葉を
用いてきたが、厳密にはタウンシップである。

アパルトヘイト政策の一環として、
黒人用に指定された居住区のことであり、
撤廃された今なお多くの人が住み続けている。

同じ地区といえど、
ごくごく普通の家じゃん!というような
車も所有している一軒家から、
トタンの掘建て小屋のような
なんとも家とは呼び難いエリアまであった。

そういった場所には
足を踏み入れることさえできなかった。




そもそも私が南アフリカに行ったのは、
インターンシップに参加するためであった。

もともと途上国に興味があり、
大学時代にBOPビジネスというビジネスの力で
低所得層へアプローチするというものを知り、
これだ!私がやりたっかたのは!と思ったのである。

そこで、自分の目で一度その場を見てみたいと思い、
インターンシップに参加した。

結果的に、BOPビジネスを手掛ける会社ではなく、
従業員のほとんどがタウンシップ出身であった
現地のフェアトレード会社を選んだ。




前置きが長くなったが、
そこで一緒に働かせていただいた人たちは、
上記の人々と比較すれば、
ある程度の所得はあるように思えた。

人それぞれではあったものの、1人部屋に住んでいたり、
おしゃれを楽しんでいる人も多く感じられた。

それでも、生活水準を見れば、
日本の平均よりかなり低いのは明らかである。

しかし、私たちよりよっぽど幸せそうに見えた。




そんな彼らに私ができることは何だろう。

現地の友人に聞いてみるも、
 「彼らは何も欲していない」
 「そんなとこ危険なとこ絶対行くな」
 「そんな話持ち出さないでくれ」
そんな回答ばかりであった。

そもそもこの”何かしてあげたい”という
考え方自体が間違っているんだろうか。

でも無視?見捨てることなんてできない

と同時に、
外部の私は何か言うのはおこがましい?
勝手に可哀そうというレッテルを貼っていないか?

いやでも...

自分の望んだ場に実際に来たものの
本当にこれは必要とされているんだろうかと
釈然としない気持ちが常にあった。


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↑タウンシップで買った絵
 (この左の人はどういう心境なのかな)




ずっと答えがでないまま私は帰国し、
BOPビジネスを手掛ける会社に
ご縁をいただき就職した。

が、その部署に配属される前に先日退職を決意した。




配属された部署での仕事に専念し、
横にのけたままとなっていたこのテーマ。

私はあのときのアフリカの人々が忘れられない。

私にかけがえのない経験と気づきを与えてくれた
あの人たちに何か恩返しをしたい。

今こそもう一度向き合いたい。

まってて南アフリカ!



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