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隣の感傷

どうして人はセンチメンタルなものに惹かれるんだろう?私は感傷って、生きてくのに邪魔な感情な気がする。けれども感傷に後ろ髪引かれながら生きている。隣の芝生は青いみたいに、たぶん誰かの傷は美しく見えるのかな、そしてたぶん人は、傷そのものと、傷から生まれるストーリーを履き違えてしまう。それは読書体験やテレビや映画の影響、原因は人様々だと思うけど、太陽の下や真っ青な海の近くでは生まれにくいもののような気がしてる、少なくとも今の私には。
人が傷付いてる姿は美しいのかもしれない、人はその孤高の美しさに憧れてしまうのかもしれないけど、私はもう傷つくこと前提の人生を歩みたくない。きっと、傷は本当は全然美しくないと思う。
それでも、傷つくことを回避して生きてる人には全然魅力を感じないのはなんでだろう。

まっすぐ生きるって?どこに向かって?
気が付いたら暗い部屋で音楽を聴いたり映画を観ている人生になっていた。今は自分が何と戦っているのかもよくわからない。
最近のお篭り生活のせいでいよいよ忘れてたけど、私は本当は落ち着いていられなくて、とても好奇心旺盛な性格で、もっと旅がしたいんです。
なぜ映画に出て自分でも映画を撮っているんだろう?知らないけれど、特に映画愛が強いと言うわけでも無いと思う、どちらかというと音楽や文学や、写真を観たりするのが好きで、その延長にあったという感じ(自分のこういう所が好きではない。何事も愛が強いほうが偉大だと思うから)なのと、私も映画になって世界を映してみたいと思ったから。
たぶんそのくらい映画は嘘つかないということを直感でわかっていたんだと思う。
たぶんスクリーンがなくても撮ってるかもしれない。

もう随分前から、私の気持ちも、私を取り巻く環境も、いつもふわっとしている感じがする。でも悪くない、たぶん。
言葉で論理的に語り倒したり知識をひけらかしたり…そんな頭でっかちなことは本当はどうだっていい。ただ、ふわっとしていることを否定しない強さと勇気が欲しい。他人を否定することはすごく簡単だから。

人生で絶対に出会わない人がいるように、この部屋では絶対生まれないものがある。そう思って、今ここから生まれてくるものだけを待っている。
そんな日々に、意味を見つけたくて必死です。
あたしまだ見つけられてないんだよね。

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