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第3章 象徴の家──白の家 立石遼太郎

「何か大事なことを決めようと思ったときはね、まず最初はどうでもいいようなところから始めた方がいい。誰が見てもわかる、誰が考えてもわかる本当に馬鹿みたいなところから始めるんだ。そしてその馬鹿みたいなところにたっぷりと時間をかけるんだ。」
村上春樹『ねじまき鳥クロニクル 予言する鳥編』新潮社、1994

0 象徴という言葉

第3章は、次の設問からはじめよう。
《白の家》は一体なにを象徴しているのだろうか。
本章は、篠原一男の作品、特に《白の家》を通じて、象徴という言葉の意味を考えていきたい。途中で、象徴とフィクションは《白の家》の中で一瞬、混じり合い、やがて仲違いしていく。その混じり合う瞬間を捉えるために本章はある。

あらかじめ断っておくが、ここで《白の家》を仔細に論じるつもりはない。本章の主題はあくまで、“《白の家》は一体なにを象徴しているか”ということにつきる。
やがて本章が終わる頃、《白の家》の象徴は、これまでとは全く異なる姿を見せるだろう。その証明を、これから行うこととする。
ともかくも、まずは象徴という言葉の意味について考えていきたい。

1 どうでもいいようなところから始める

「何か大事なことを決めようと思ったときはね、まず最初はどうでもいいようなところから始めた方がいい」、らしい。
助言に従い、これから象徴について考えるにあたり、最初に次の一文を引用したい。

象徴の目的とは、その時代の、その社会に生きている人間にとって重要だと思うものを浮き彫りにすることだ。
ロドニー・ニーダム『象徴的分類』吉田禎吾、白川琢磨訳 みすず書房、1993

ここに、ミース・ファン・デル・ローエの至言、

建築は空間に翻訳された時代の意思である*1

を足し合わせれば、それぞれの一文の、前後の文脈を剥ぎ取っていることは承知であるが、建築とはすなわち、象徴なのだ。
と、格言めいた物言いをしてみたところで、事態は結局なにも変わらない。

2 本当に馬鹿みたいなところから始める──象徴の分解

次に僕らはなにをすべきか。
再び村上春樹のアドバイスに従えば「誰が見てもわかる、誰が考えてもわかる本当に馬鹿みたいなところから始める」とよい、とのことである。
物事を理解するためには、その物事を分解してみるのが最も手っ取り早い。いわば、言葉を因数分解する、と考えればわかりやすいか。象徴を因数分解したあと僕らの手に残るのは、〈象り(かたどり)〉と〈徴(しるし)〉という因数だ。

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