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「洞窟」の運営 ──自主ゼミ 「社会変革としての建築に向けて」レポート 橋本吉史

建築家・連勇太朗が、ゲスト講師を訪ね、執筆中のテキストを題材に議論する自主ゼミ 「社会変革としての建築に向けて」
2021年11月29日に行われた第5回は、建築領域外へと射程を広げ、アーティスト・卯城竜太をゲスト講師に迎えた。
レポート執筆者は、近現代建築史の研究をしつつ、設計活動も行う橋本吉史。

自主ゼミ「社会変革としての建築に向けて」は、議論の相手を建築分野外へと広げ、これまでの蓄積を引き継ぎながら、さらに領域横断的な対話から「社会変革としての建築」のあり方を探っていく。そのようなゼミの第5回は、卯城竜太をゲスト講師に迎えた。卯城はChim↑Pom​​のメンバーであり、個人としても積極的に執筆活動を行っている。
今回の発端は、自主ゼミのSlackで話題に上がった卯城による連載「ポスト資本主義は『新しい』ということを特権としない」*1 を通じて、連の執筆中のテキストとの共通点を見出したことである。連載において卯城は「ウィズ資本主義」という言葉を使い、資本主義社会を絶対視せず、すでにある別の方法に目を向け実践することで相対化することを説いた。これは連の、資本主義的な開発を否定できないものとし、しかしながら、既存の都市に目を向け、社会を複層化しようという姿勢に通ずるものがある。また、両者は共に業界における従来のキャリア設計とは別の方法で活動を続けてきた。それ自体が世の中のオルタナティブを探す姿勢の表れであり、思想的な共通点であるといえる。
議論は新宿区百人町にひっそりと存在する「WHITEHOUSE」の、経年劣化によって歪み波打つ天井の下で行われた。そもそもこの建築は、1957年に磯崎新により美術家・吉村益信のアトリエ兼住宅​​「新宿ホワイトハウス」として設計された。その後、カフェなどに転用されたのち、2019年よりChim↑Pomのアトリエとして利用され、2021年4月からはギャラリーとして「WHITEHOUSE」と名を変え、卯城自身と涌井智仁、中村奈央の3名によって共同運営されている *2 。

「WHITEHOUSE」 Photo: Yurika Kono

社会的実践を作品としての認知する

卯城は、連の論に呼応するかたちで、現在のグローバルなアートシーンにおける実感を自身やChim↑Pomの活動、国内外の事例を紹介するかたちで説明してくれた。本レポートでは、それらの整理を行い、論点を提出してみたい。
連がまず投げかけたのは、いかに社会的実践という職能の認知や地位を上げられるのかという問いである。卯城によれば、これまでアーティストによる社会的実践も、ヨーゼフ・ボイスが提唱した概念「社会彫刻」のような例外を除けば、あくまで括弧つきの「作品」制作の副業的な存在だったという。建築分野でも有名なゴードン・マッタ・クラークの「FOOD」(1972年)も、やはり彼の主な活動と捉えている人は少なかった。
しかし最近は、状況が変わってきたという。例えばシカゴのアーティスト、シアスター・ゲイツ(Theaster Gates)は、2009年に非営利団体「Rebuild Foundation」を立ち上げ、都市の打ち捨てられた建物を文化的施設に再生するプロジェクトをアートの実践として行っている。彼は、2022年のサーペンタイン・パヴィリオンの設計者にアーティスト単独では初めて選ばれており、建築界の社会的実践への認識を変える可能性がある。
ゲイツにしても陶芸による「作品」制作は行っているが、現代においては社会的実践のみをアーティストの活動として行っている者もいる。ルアンルパ(ruangrupa)は2000年、アーティストらにより組織された非営利団体として、スハルト大統領による長期政権が崩れたのち、様々な制度が民主化されていくさなか、インドネシアの首都ジャカルタで結成された。彼らの活動を少し調べてみるだけでも、ラジオ放送からフリーマーケットの開催に至るまでその多様さに驚くだろう。もはや社会的実践はこのアーティストの副業とはいえない。
卯城は「ルアンルパは長年活動しているのに作品像が浮かばない」という。もちろんこれはネガティブな意味ではなく、シリーズの作品発表により自己を様式化していくような近代的な制度上のアーティストではなく、それぞれの都市的問題に目を向け、ある新鮮な状況・関係をつくる現代的なアーティスト像なのだろう。
そのルアンルパが、ドイツの芸術祭・ドクメンタ15(2022年開催予定)における芸術監督に選ばれたのは、注目すべきことだ。彼らは芸術祭のテーマを、インドネシア語で穀物倉庫を意味する「ルンブン(lumbung)」と設定している。アーティストや鑑賞者のみならず、分野横断的に人々を巻き込み、穀物を共同で貯蔵して分配するかのように知のコモンズを都市に蓄積してリソース化していくことを目的としている。
Chim↑Pomも、以前は「活動」と呼んでいたイベントや運営(例えば「にんげんレストラン」、2018年)を「作品」と同等のものと捉えられるようになってきたそうだ。
これは「リレーショナル・アート」や「ソーシャリー・エンゲイジド・アート(SEA)」と呼ばれるような作品を通してアート分野において批評や議論の蓄積があったからこその状況であろう。連も「モクチンレシピ」や「@カマタ」のような建築的実践を、評価したり語る場が少ないと感じているように、日本の多くの建築賞においては未だ字義通りの「建築作品」以外で評価されることは極めて稀だ。地域社会にコミットしながら制作を続けるロンドン拠点のコレクティブであるアッセンブル(Assemble)を評価したのも、ターナー賞であった(2015年)。建築作品と建築的実践を別のものとしてしまう日本の建築界と、評価軸を批判的に更新していくアートの世界には大きな差がある。

トップダウンではないネットワーク的な運営

建築家がまちおこしに参加したり、ワークショップを行いながら地域コミュニティに参与する事例はこの10数年で着実に増えてきている。連はそれらに賛同しつつも、一定期間のみイベント的に地域に参与するような活動には懐疑的である。コミュニティに関わることが新鮮だった時代はとうに過ぎたといえるだろう。
ここでふたりの議論の主題は、実践の場における運営のあり方へと移った。連は組織の枠組みづくりを真摯に考え、個人として運営に関わり続ける責任を負わなければ、持続的な場をつくり出せないのではないかと考える。しかしどのような組織でも、ある枠組み・制度をつくるということは、村社会的なパターナリズムを生む可能性を常に含んでいる。連は、枠組みまでも建築家が引き受け積極的に関わろうとしたばかりに家長的なトップダウンの運営で組織を硬直させてしまうのではないかという懸念を語った。
卯城も昨今、運営にクリエイティブなおもしろさを感じているという。かつて日本におけるアーティスト・コレクティブは、ある一定の期間活動を共にするのみで、解散して個々の活動に分かれていくものがほとんどだった。しかし、Chim↑Pomはコレクティブとして15年以上活動を続けてきた。さしたる経済的な後ろ盾もない活動をコレクティブとして続けることは、運営に無自覚では成し遂げられない。そして2018年頃から卯城はリーダーという肩書きを下ろし、ひとりのメンバーとして、Chim↑Pomのファシリテート役となった。それは結論、卯城の活動内容を変えるものではないのだが、組織構造に対する明確な意識の変化である。
卯城が挙げた「ボーダレスアートスペースHAP」はユニークだ。これは広島のギャラリーが、児童発達支援・放課後等デイサービスの運営を始めたもので、アーティストが職員となり障害を持つ子どもたちを預り、遊んでいる。そこでは例えば、子どもが職員の体に落書きをしても怒られず、一緒にそれをおもしろがってくれる。そのようなアーティストが潜在的に持つ寛容さを活かした施設であり、今後こういった活動もより注目されていくだろう。
運営の指針として、卯城が最近注目している思想はアナキズムだという。アナキズムは無政府主義と訳されるが、それは過激な運動というイメージよりも、松村圭一郎『くらしのアナキズム』(ミシマ社、2021年)で語られるような権力関係のない共助的なコミュニティのあり方を示している。あくまで卯城は「そのようなコミュニティのつくり方はわからない、だからこそおもしろい」と語る。おそらくそれは、卯城の個々の活動からもわかるようにある定式化した方法をはめ込むのではなく、組織に関わる各々の態度を常に見直すことを地道に続けていくことで、ふと組織の像を結ぶようなあり方なのだろう。

ただ開いている空間・洞窟

そのような思想は、ギャラリー「WHITEHOUSE」の共同運営にも通じている。WHITEHOUSEでは、ギャラリストがアーティストの作品を展示するという一方向の運営ではなく、むしろ展示を通してアーティストが場を読み替え、運営方法自体が刷新されていく。現在、卯城と涌井智仁、中村奈央という3人の共同運営であることも、個々のキュレーションによって場所が読み替えられ、枠組みが動き続けるネットワーク的な運営につながっているだろう。
卯城はWHITEHOUSEで行われた展示の例として、磯崎隼士「今生」(会期:2021年7月3日〜23日)について語った。この展示では、アーティスト・磯崎隼士の自身の血液を使った絵画で壁一面が覆われた。血液を、過激さを表す素材ではなく、有機的な自然世界とのネットワークの一部として考えつくられた作品であれば、それを人工的に明るさを保つ照明で照らし、開館時間という制度によってトップダウンな管理をしてしまうのは、何か違うと感じたという。そこで、例外的に自然光のみ、ドアには鍵をかけず、24時間ただ開けておく運用となった。24時間開けるということは、当然ながら常に会場を管理状態におくことはできず、ともあればふと訪れた人に放火される可能性さえも含んでいる。それでもWHITEHOUSEの会員たちがなんとなく見守ることで共同管理として状況を維持できると考え、卯城は自治を促した。会員からは個人情報も受け取っていて、であればホテルの客くらいには信用をベースに協働を呼びかけることもできるのではと考えたのだ。展示されたのは絵画だったが、それが生み出した状況は一種の社会実験である。この状態を卯城が、二元論に開く・閉じるのではなく、ただ空いている「洞窟」のような空間であると表現していたことはとても新鮮だった。

「今生」より、磯崎隼《極めて退屈に塗られた》(2020−)
Photo: Yuu Takagi
©︎WHITEHOUSE Courtesy of the artist

建築分野において公共空間は、「原っぱ」や「がらんどう」(長谷川逸子、青木淳、古谷誠章)といった四方開けたようなイメージで語られることが多い。しかし現代においてはPFI(プライベート・ファイナンス・イニシアティブ)​​といった仕組みにより、公共的空間にも民間企業が参入し、原っぱでさえ管理・収益化の対象となり、資本に回収されていく(もちろん、それによって公園が新たな居場所になった人にも目を向けなければいけない)。対して、卯城のいう洞窟から想像するのは、どん詰まりの暗い空間である。ただ、洞窟はいつでも開いていて誰かが描いた壁画がぼっと浮かび上がるような、どことなく創造的な雰囲気も持ち合わせている。
洞窟という言葉は、これまで建築業界で使われてこなかったわけではない(伊東豊雄、藤本壮介、石上純也など)。しかし、それらは形態的なアナロジーや、空間の初源として、または近代建築の空間的均質性を否定するためのタームであった。卯城のいう「洞窟」とは、SNSのような開かれすぎた社会への疲れ、もしくは何かに開くこと自体が必ず他の何かを排除してしまうという気づき、そしてコロナ禍で経験した閉じてしまうことへの怖れという、現代的なリアリティから生み出された思想であり概念であることは間違いない。誰のためと決めずにただ開けていることにより、定義のしきれない暗闇を持つ「洞窟」というイメージは、これからの公共性に寄与するだろう。

運営のあり方から社会の枠組みを変革する

今回の自主ゼミにおいて最も語られた言葉が「枠組み」であった。枠組みから問い直さなければ既存の構造に容易に飲み込まれるという事実から、我々はもう目を背けられない。そのような時代において、両者が最もリアリティを感じる活動が新たな枠組みを生み出すコミュニティの運営であることは頷ける。議論のなかで卯城は「運営には常に訂正可能性が必要だ」と述べ、批評家・哲学者の東浩紀の「訂正可能性の哲学、あるいは新しい公共性について」(『ゲンロン12』、ゲンロン、2021年)にも言及した。東自身も地に足をつけた運営を通して業界の枠組み自体を問い直すことに奮闘しており、そこから紡がれている思想は卯城と連両者に通じるところがある。
今回、卯城の示した「洞窟」は、運営に大きな示唆を与えるものであった。「洞窟」を開け続けることには、前述したような管理上のリスクを引き受ける緊張感ある決断が不可欠である。その決断を下すには、コミュニティを維持していくことのできる明確な思想と、訂正可能であるネットワークを持った運営が必要なのだろう。


*1 卯城竜太「ポスト資本主義は『新しい』ということを特権としない」Vol. 1、 WEB版美術手帖(最終閲覧日:2021年12月1日)

*2 「WHITEHOUSE」はギャラリーへの転用時、GROUP(井上岳+大村高広+齋藤直紀+棗田久美子+赤塚健)により改修設計がなされている。


橋本吉史(はしもと・よしふみ)
1992年千葉県生まれ。2015年東京藝術大学美術学部建築科卒業。2015-16年Boyarsky Murphy Architects(London)。2017-18年中山英之建築設計事務所。2020年東京大学大学院工学系研究科建築学専攻修了(加藤耕一研究室)。現在、同大学院博士課程。​​専門は建築史(近現代イギリス)。デザイン・建築・都市に関わる研究者・実践者によるメディアプロジェクト「メニカン」共同主宰。

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